月見草アニメ!

ブログ名は「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という野村克也氏の名言からつけました。月見草のように、目立たないながらも良さがあるアニメやゲームについて、語ることを目指します。

「私になる」ということ~ジュブナイルSFの金字塔「放課後のプレアデス」を読解する~

寄り添うように輝く星も、本当は、一つひとつが、何光年も遠く離れています。何もない空で一人輝きながら、みんな、同じように星たちを見上げているのかもしれません。その輝きが、いつか誰かに伝わるって信じながら。今日の予報は流星雨。こんな夜は、星空を見上げて、肩を寄せ合って、ささやくような星たちの輝きに、そっと耳を傾けてみませんか。寄り添うように輝く、星たちに混ざりながら。

 

2015年4月から放送されたTVアニメ「放課後のプレアデス」。

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放送当時、私はこのアニメを観て、すっかり心を奪われてしまいました。このアニメのことが好きなあまり、ブルーレイを全巻そろえた上に、ブルーレイボックスまで買いました。新宿ロフトプラスワンで行われたスタッフトークイベントに参加したのもよい思い出です。
しかし、なぜこのアニメを好きなのかは、ずっとうまく説明できないままでした。大好きなのは確かなのですが、このアニメに込められているものが大きすぎて、それをうまく消化できていないような感覚が、絶えずつきまとっていたのです。このアニメに込められているものが10あるとすれば、自分の腑に落ちているのはせいぜい1か2くらいなのではないか。そんな思いを抱えたまま、いつしかこのアニメを観ることはなくなり、5年の月日が過ぎました。
転機は、5月にこの記事を書いたことです。

 

tsukimisouanime.hatenablog.com

 

アニメ「Re:ステージ!ドリームデイズ♪(略称リステDD)」について書いた考察記事です。この記事を書いた後、私は「放課後のプレアデス」を見て、その素晴らしさを語ってみたい衝動にかられました。

それがなぜなのかは、自分でもわかりません。あとから考えると、この2作品の底に共通して流れている精神性のようなものを、なかば無意識的に読み取っていたのかもしれません。

ともかく、私は「放課後のプレアデス」を数年ぶりに観て、自分がこのアニメの何にこれほど惹かれているのかを、どうにか言語化してみることにしました。今年、2020年はちょうど放送5周年でもありました。この記事を目にされた方がこのアニメを知ったり、思い出したりするきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。

 

さて、このアニメの素晴らしさは、「変わる」ことによって「私になる」という物語性にあります。

 

目次

 

「変わりたい」という祈り

放課後のプレアデス」という物語の出発点となるのが、少女たちの「変わりたい」という願いです。

主人公のすばるは、自己肯定感が低い少女として描かれます。1話でみなとと出会う場面では、

私、いつも要領悪くて、友達からもよく鈍くさいって言われるんです。

と口にします。*1

続けて、流星雨の観測にみなとを誘いますが、「なんで?」とみなとに問い返されたことで、拒絶されたように感じ、誘うことを諦めてしまいます。

このあと、

ああ~もう~恥ずかしい~!

と頭を抱える姿がいとおしいです。

さて、すばるは魔法使いに変身したあおいたちと出会います。

あおいちゃん、どうしてこんなことしてるの?

と問うすばるに、あおいは

変わりたかったんだ。私は、変われなかったから。すばるは違うのか?すばるは、変われたんじゃないのか?

と答えます。

よくわかんないけど、だったらそれ、きっと違う私だよ。

変われるかな

 とすばる。

すばるもあおいも、自分に自信が持てず、変わりたいという願いを胸に秘めていたのです。変われるかな、という言い方を踏まえると、達成する確信の持てない願いであり、その点、祈りといった方がいいかもしれません。*2

 

想いを抑えず、言葉にする

では、この変わりたいという祈りは、どうやって達成されるのでしょうか。それは、「想いを抑えず、言葉にする」ことです。

1話では、魔法使いになって宇宙船のかけらを集めることに反対するあおいに対し、すばるは

私、やってみるよ

あおいちゃんにできるなら、きっと私にもできるよ!

とはっきり言います。

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結果として、すばるたち5人は、今まで手にしたことのなかった宇宙船のかけらを手にすることができ、さらにすばるは、冒頭では見ることのできなかった流星雨を見ることができました。

 

さらに2話では、

私ともう一度、飛んで!

と、あおいにすばるが言ったことによって、二人は仲直りします(2話については、後ほど詳しく見ていきます)。

 

3話では、

足手まといにしかならないなら、私、みんなと一緒にいちゃいけないんじゃないかって

とすばるが迷いますが、最後には、

私がうまく飛べなかったら遅くまで付き合ってくれるし、みんなとっても優しいよ。出来損ないなんかじゃない!みんな優しい。私や、宇宙人さんたちのために一生懸命になってくれて、……私みんなといたい!みんなみたいになりたい!

私うれしいよ。あおいちゃんと一緒に居られて、とってもうれしいよ!

と、想いをを言葉にします。結果として、

私たちだってすばると何も変わらないんだ。一緒だよ。だから、私もうれしいんだ!

と、あおいから言ってもらうことができました。

 

私は私

一方で、この「変わりたい」という「想い」を「言葉にする」ことを支えるのが、「変わっても、私は私である」という感覚です。

このことが色濃く表現されているのが2話です。順番に筋を追っていきます。

すばるにあおいがいちご牛乳を渡し、

すばる、これ好きだろ?

と言ったのち、慌てて

違った?

と聞き返します。すばるとあおいはもともといた世界が違うため、正確には「すばるの知らないあおい」と「あおいの知らないすばる」なのです。 

このやりとりののち、すばるは逃げ出してしまいます。逃げた先には、いつもの温室とみなとが待っています。

「 久しぶりに会った友達となんだかうまくいかない」

という言葉で表現されたすばるの悩みに対し、

変わってほしくないんだね。君の知らないうちに、君の知ってる人が、君の知らない人に変わるのが嫌?それとも、変わりたくないのは君の方?

 とみなとは返します。

わからないと応じるすばるに、みなとはすばるの髪のくせを「角」と呼び、「かっこいいね」と言います*3*4。さらにみなとは続けます。

 変わりたいと思ったって、そう簡単には変われないよ。君はどう?

これに「無理です」と答えるすばるの髪のくせが、抑えても治りません。「私は私である」ことを象徴するシーンです。みなとは畳みかけます。

君の友達だってそうなんじゃないかな。ね、だったらさ。なればいいんじゃないかな、友達に。

これを受けて、すばるはあおいと話すことを決断します。

私がいちご牛乳好きなことも おぼえてくれてた。私、うれしくてちょっと泣いちゃった。

これにあおいが、

やっぱりすばるは泣き虫だな

と返したことによって、ぎくしゃくしていた二人の仲は戻ります。想いを言葉にすればよいということですね。この後のシーンで、二人はお互いに、

やっぱりお前は私の知ってるすばるだよ

あおいちゃんも

と言い合います。

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世界は違っても、「すばるはすばる」「あおいはあおい」ということを確認し合うシーンであると言えるでしょう。このあと、星めぐりの歌に合わせてかけらを捕まえるのもよいですね。

 

「そう簡単に変われない」「私は私」ということは、一見すると「変わりたい」という想いと矛盾するように思えます。しかし、そうではありません。「変わる」ことによって、別人になってしまうのだとしたら、「変わりたい」と思うことが難しくなってしまいます。「変わっても、私は私である」という安心感があるから、「変わりたい」と思うことができるのです。

私は私である」という感覚が、すばるにとってのあおい、あおいにとってのすばるという、他者からの承認によって獲得されているのも注目すべきであり、後述します。

さて、「変わっても、私は私である」という確信を得たすばるとあおいは、「変わりたい」という想いを強めていきます。しかし、「私は私でしかない」のであれば、なぜ「変わる」必要があるのでしょうか。

それは、「何者でもない」からです。詳しく見ていきましょう。

 

「何者でもない」ということ

この「何者でもない」ということが描かれるのは3話からです。

僕が協力者として君たちを選んだのは、君たちが可能性の塊だからだ。君たちは、様々な可能性が重なり合ったまま、まだ何者にも確定していない、どっちつかずの存在だ。子供でもないが、大人でもない。そして、まだ何者でもない、あるいはなろうとしない、幼い心のまま大人に近づいた、そんな矛盾した存在が君たちだ。

これを聞いてひかるが言います。

ポンコツだ。聞こえはいいけど、要は私たちって何者でもないポンコツってことだよね

すばるも、エンジニアの父が持ち帰った規格外品に自らを重ねて、

不良品じゃいくら集まったって、なんにもできないよ

と涙を流します。このアニメの、こういう繊細さが大好きなんですよね。

みなとにも、

きっと私は、私の可能性の中で、一番何者でもない私なんだ。きっとそうだ。だから選ばれたんだ。なにも選べない私が……。

と話します。

この、「何者でもない」ということは、どういうことなのでしょうか。

すばるは「なにも選べない」と表現していますが、もう少し詳しく定義すると、「実現しなかった可能性に心を砕き、いつまでも心の奥にしまっておくこと」です*5

実現しなかった可能性とは、ひかるにとっては、「自分が音符を書き込んだことによってできた、父が作った曲を聴くこと」であり、いつきにとっては、「おてんばな自分の思うままに行動すること」であり、ななこにとっては、「両親の離婚に伴い離れ離れになった弟に、自分の想いを伝える」ことです。

 

この「何者でもない」という心の葛藤は、前述したように「想いを言葉に」して(私みんなといたい!みんなみたいになりたい!)「変わりたい」という祈りを達成することによって、解消します。

現実の君たちが、何者でもなければないほど、僕はその可能性を君たちの力に変える。それがいま、君たちに地球や宇宙を肌で感じさせているんだ。生まれ落ちた瞬間から、何の可能性も選択肢も持たないものもたくさいんいる。なのに、君たちと出会えた僕は、とても幸運だ!

というプレアデス星人のセリフ、さらには

人間は部品とは違うよ。たった一つの形に決まらなきゃいけないなんてこともない。そもそもすばるは、まだ何の形にもなっていないじゃないか。だから、悲しいことなんてない。

というすばるの父のセリフで3話は幕を閉じます。

「なんにもないならなんにでもなれるはず」というOPにあるとおりで、「何者でもない」がゆえに、「変わりたい」と思う、「変わる」ことができる、ということが読み取れます。自己肯定感が低いゆえに、「何者でもない」ことを「不良品」「ポンコツ」と悲観していたすばるたちでしたが、「何者でもない」ことを肯定することができました。

なぜこうなったのでしょうか。それは、「他者による承認」があったからです。

 

他者による承認

3話ラストのすばるとあおいのやりとりを再掲します。

すばる「 私がうまく飛べなかったら遅くまで付き合ってくれるし、みんなとっても優しいよ。出来損ないなんかじゃない!みんな優しい。私や、宇宙人さんたちのために一生懸命になってくれて、……私みんなといたい!みんなみたいになりたい!」
「私うれしいよ。あおいちゃんと一緒に居られて、とってもうれしいよ!」

あおい「私たちだってすばると何も変わらないんだ。一緒だよ。だから、私もうれしいんだ!」

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このやりとりには、どのような意味があるのでしょうか。そもそもすばるは、

足手まといにしかならないなら、私、みんなと一緒にいちゃいけないんじゃないかって

という葛藤を抱えていました。この葛藤が解決したのは、ひとつには前述したように「みんなといたい」「あおいちゃんと一緒に居られてうれしい」という「想いを言葉に」したことがきっかけですが、その結果として、「私たちだってすばると一緒に居られてうれしい」という「他者による承認」が得られたからです。

振り返ると、2話でも「すばるはすばる」「あおいはあおい」という感覚を、自分で認めるのではなくて、お互いに承認することによって確固たるものにしていました。「想いを言葉にする」結果として「変わった」かどうかは、自分では判断できません。想いを言葉にする結果として、他者による承認が不可欠なのです。

アイデンティティ」という概念を考えてみるとわかりやすいでしょう。「私が私である」という意識は、社会から認められることによって確立するのです。*6

 

さて、「放課後のプレアデス」という物語は、前半1~6話と、後半7~12話に分けられますが、さらに前半を1~3話の第一部と4~6話の第二部に分けられます。第一部の1~3話で、物語に必要なキーワードが出そろいました。「何者でもない」がゆえに、「変わりたい」という祈り(WISH)を抱く。変わりたいという祈りは、「私は私」であるという感覚によって支えられており、「想いを言葉に」して「他者による承認」を得ることで達成されるのです。

第2部からは、すばるだけでなく、ひかるやいつきがこの過程をたどっていきます。

 

想いを言葉にする~ひかるの場合~

ひかるの願いは、「誰もしたことないことをする」ことです。

だってこんなのだれもやったことないよ、面白そうじゃん

4話では、幼少期に父が作曲している譜面にソの音符を書き込んでしまったが、その曲を聴くことができなかったというひかるの葛藤が描かれます。曲に音符を書き込んだことは、「誰もしたことないこと」ですが、その思いにふたをしたまま、ひかるはここまで生きてきたのでしょう。「何者でもない」ということですね。

すばるからひかるの話を聞いたみなとが、

君は人がいいな。言葉なんか信じてる

すばるは自分の気持ちをそのまま言葉にできる?

自分でも気づかないうちに、鍵をかけている扉もある

 と語るのが、まさにひかるが「何者でもない」ことを表現しています。「鍵をかけている扉」が、「想いを言葉にする」ことの対比的な表現として秀逸ですね。

ひかる自身も、自身が「何者でもない」ことを語ります。

かっこつけたこと言ったって、本当はなんだって中途半端にしかできないんだ。だって、お父さんの作った曲だって、私は最後まで聴く勇気もないのに。会長の言う通り、私は誰よりも何者でもない。資格は十分だよ。

怖くなった。私の書いた一小節が、お父さんを困らせちゃうんじゃないかって。そう思ったら怖くてたまらなくなって。私はその曲を、最後まで聴けなかったんだ。

そうだよ。知るのが怖いんだ。私は……

そんなひかるが、「想いを言葉に」し始めます。一歩目は、書き置きにその日の自分の行き先として「月!」と書いたことです。ここでソの音が鳴るのが天才的な演出なんだよなあ……。これを見たひかるの母が

あの子が今まで、私たちに嘘ついたことある?

と言うのも、みなとの「言葉なんか信じてる」と対比になっていて、深いですね。これを受けて、月にいるひかるに演奏を届けようと両親は考え、父の演奏によって、ひかるは曲を聴くことができました。

迷惑なんかじゃないよ、小さいひかるちゃんのしたこと。だからこうして弾いてる、聴かせようとしてる。

とすばるが言います。他者による承認ですね。

最後までなんて聴けないよ。だって、聴いちゃったら、私泣くしかないってわかってる。だけど、そんなとこ誰にも見られたくない。

曲を聴いたひかるは涙を流します。涙が月に散らばっていく演出が美しすぎます。

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涙という形で想いを表現したひかるに対し、すばるたち仲間は笑顔を向けます。他者による承認です。

ななこ「圧倒的じゃないか」

あおい「泣くほどうれしいことなんてそうないよな」

このあたり、セリフの一言一言も素敵です。この4話が神回と呼ばれるるゆえんです。

 

想いを言葉にする~いつきの場合~

5話では、いつきの葛藤が描かれます。いつきの願いは「空を飛ぶこと」です。しかし、そんな自らのおてんばが原因となった幼少期の事故で家族を悲しませてしまい、それがトラウマとなり、いつきは自分の想いにふたをして生きてきました。やはり、「何者でもない」ということですね。

学園祭ですばるたちのクラスは劇をやることになりますが、いつきはお姫様役に選ばれます。劇のあらすじはこうです。

――「こうなればいい」お姫様の言葉が耳に入った途端、どんなことも現実になってしまう。その力を恐れた王様とお妃様によって、お姫様は塔の中に閉じ込められる。あるとき、その塔に遠い国の王子様がやってくる。閉ざされた扉の中でお姫様は「私は消えてしまいたい」と言い、落雷とともにいなくなってしまう――

劇中のお姫様が、想いにふたをしているいつきとシンクロしているのがわかります。なお、お姫様が言ったことは「自己否定という呪い」であり、のちのみなとと重なるのですが、これについては後述します。この後の場面で、すばるが「みなとくん、お姫様みたい」と言っているのが面白いですね。

余談ですが、すばるが教室をのぞいた時にいつきが着替え中だったのって、王子様の服を着ようとしていたのでしょうね。

すばると一緒に宇宙へ飛んだいつきは、自らの過去を語ります。

お願いなんてないわ。私、そういうこと考えないようにしてるの。自分のしたいことをしたって、誰かに迷惑かけるだけだもの。私は、わたしのわがままで、誰かを傷つけたくないから。

私のわがままが、みんなを傷つけた。この傷は、それを戒める罰だって思った。

想いにふたをする心情の動きと重なって、事故でできた傷のあるおでこを隠す動きが繰り返されるのが象徴的です。おでこの傷が、そのまま心の傷を表しているとみることができます。

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だからこそ、いつきがおでこを隠そうともせずかけらを捕まえようとする動きが、幼少期に木から落ちた時の帽子を捕まえようとする動きと重なるのが、いい演出です。見ていて私は、天才的だなあ……とつぶやいていました。

かけらを捕まえた後、

みんなに迷惑かけちゃった

とこぼすいつきに対し、すばるは言います。

迷惑なんかじゃない、ううん、迷惑だっていいよ!

あおい、ひかる、ななこも、

私たちにだったらいくら迷惑かけたっていいよ

太っ腹

まあ、お互い様でしょ

 と次々に口にします。「他者による承認」です。

そして、すばるは

傷、言われなかったら全然わからないね

と声をかけ、いつきは

私、気にしすぎてたのかな

と応じました。トラウマが解消した瞬間です。

他者による承認」を受けて「想いを言葉に」できるようになったいつきは、「劇で王子様役をやりたい」という希望を口にし、叶えることができました。願いを口にすることが許されず、「消えてしまいたい」と姫が口にする、という劇のエピソードがハッピーエンドへと改変されたことと見事に同期しており、味わい深い場面になったものです。

どうか、この手を取っていただけますか。それが私の願いです。

あなたが心から望むなら、それは私の願いでもあるでしょう。

 劇を終えたいつきは、観客の中に、例の事故で悲しませた兄の笑顔を発見します。見ていて私は、不覚にも涙を抑えられなくなってしまいました。なんていいシーンなのでしょうか……。

 

さて、これを受けた次の6話はななこ回かと思いきや、すばるとみなとの変化にスポットが当たる回です。

温室でせき込むみなとから、みなとを置いて温室を出るように言われ、「こんなの私、決められないよ」とすばるは言います。これを受けてみなとから「お守り」として、温室に植わっている、つぼみのままの花を手渡され、温室を出ることを決断します。

すばるが3話で

決められないだけです

と言っていたことを思えば、大きな変化です。「想いを言葉に」することを知って、すばるは変わったのです。

みなととともにあり、咲くことのなかった温室の花が咲きます。「この花は咲いてはいけないんだ」と語っていたことを考えれば、これもまた大きな変化です。「僕も変われるかな」とつぶやくみなと。すばるの変化が描かれるとともに、止まっていたみなとの時が動き始める、シリーズ後半への導入にもなっている回です。

 

さて、シリーズ後半の7話は、すばるの変化をあおいが感じ取るシーンから始まります。

 

「変わりたい」を実現したすばるとあおい

6話では、すばるがあおいをかばうシーンがありました。2話で「すばるは私が守る」とあおいが言っていたことを踏まえると、二人の関係性が逆転しています。そして7話では、あおいがこの6話のシーンを回想し、複雑な表情を浮かべます。

なぜ、あおいはこのような表情を浮かべるのでしょうか。

それには、過去にすばるとあおいの間で起こった出来事が関係しており、すばるが変化することを良く思っていないからです。詳しいことは、後で明らかにされます。

 

元気がない様子のすばるにあおいはいちご牛乳を渡し、

これ飲んで元気出せ

と話しかけます。何気ないシーンですが、2話で「やっぱりお前は私の知ってるすばる」であることの象徴だったいちご牛乳を渡している点が重要です。あおいは、すばるの変化に不安になり、すばるが自分の知っているすばるであることを、意識的にせよ無意識的にせよ再確認するために、いちご牛乳を渡したとみることができます。

さらにあおいは、

すばるがわーわー騒いでないと、こっちが調子狂うんだよな

と話し、

すばるのことだから、また何かなくしものでもしたんだろ。一緒に探すからさ。一人で抱え込むなよ。

と言いながら、すばるの頭に手を置きます。すばるの頭に手を置くのは、2話で「すばるは私が守る」と言いながらしている動作でもあり、これも、自分が知っているままのすばるでいてほしいという意思表示でしょう。

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すばるはみなとのことをあおいに話しますが、みなとのことをすばるが大事に思っているのを感じ取ったあおいは、

なんで黙ってたんだよ。言ってくれたらよかったのに

と表情を曇らせ、すばるを置いて去ってしまいます。

変わりたいって思ったんだ。だからここにいるはずなのに。結局同じことを繰り返してる。どうして私は……

 

さて、この場面の後は、かけらを捕まえる場面になります。すばるがあおいの手を握ってあおいを助けようとしますが、あおいはその手を払いのけてしまいます。「あおいがすばるを助ける」という関係が、「すばるがあおいを助ける」という関係へと変化することを拒否したのです。2話で「今度またあいつが来ても、すばるは私が守る」とあおいが言っていたことが思い出されます。

自分でもわかってる。このままじゃダメだって。変わりたいって思ってるのに……

ここにおいて、過去に合った出来事が明かされ、あおいがなぜこのような態度をとっていたのかがわかります。「あおいに黙ったまま、すばるが違う中学校に行ってしまった」という経験を、あおいは持っていたのです。あおいが知らない間に、すばるが自分の知っているすばるではなくなってしまい、その結果として、自分が置いて行かれてしまった(とあおいは思っている)。だからこそ、この運命線でも、あおいはすばるが変化することを拒否していたのです。

しかし、すばるの変化を拒否するだけでは、結局過去の自分と同じであり、それを受けての「結局同じことを繰り返してる」「このままじゃダメだって」なのでしょう。

 

葛藤するすばるとあおい。二人を救ったのは、ほかの3人の呼びかけでした。

ひかる「ここまで来て迷うことなんてあるのか!」

いつき「二人なら、わかってるはずだわ!」

ななこ「寄り添う気持ちで運気上昇」

ななこの謎の一言はさておき、「他者による承認」です。

これを受けて二人は再び飛びます。角マントの攻撃を受けますが、今度はあおいがすばるの手を取って、すばるを助けます。

いつでも、どこにいても、すばるがどんなに変わっても、変わらない大切なものは、ちゃんとここにある。

いつだってあおいちゃんは、私を助けてくれる。だから私も変わらなきゃ。いつかあおいちゃんを守れるくらいに。

 

私たちは、変わっていける。

 

すばるに助けられてばかりじゃいられないからな

私だって。あ、でもあおいちゃんと一緒にいるのは、ずっと好きだよ。

これを聞いて、あおいがすばるの頭をなでようとしてやめるの、尊すぎません??

「あおいがすばるを助ける」という関係性が変化してしまうことを拒否していたあおいが、すばるの変化を認めることができたのです。あおいも「変わる」ことができたのです。こんなシーンがあるでしょうか???あれ?目から汗が……

あおいは言います。

わかってる。どこにいてもどんなに変わっても、すばるはすばるだし、私は私だ!

これを見て、ななこは「二人とも変わった」と言います。2話では「やっぱりお前は私の知ってるすばるだ」だったのが、ここでは「自分の知らない変わったすばるでも、すばるはすばるだ」に変化していることに注目すべきです。「私は私」であるがゆえに、「変わりたい」という想いを肯定し、実現することができたのです。

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この後、別の運命線のお互いからもらったキーホルダーを見せ合い、すばるとあおいは言います。

あおい「私たち、置いて行かれたわけじゃないんだ。」

すばる「そうだよ。私たち二人とも、大切な友達から宝物をもらったんだよ」

他者による承認」です。

 

「変わりたい」という願いを実現したすばるは、みなとに対して「想いを言葉に」します。この直前、あおいからもらったキーホルダーを触るのが、尊すぎます。

その恰好、やっぱりちょっと変です。あと、これ。好きだよね。

すばるはこう言って、いちご牛乳を差し出します(もちろん、「みなとはみなとだ」という意思表示です)。

みなと「君って、人違いだとか勘違いとか考えないわけ?僕は君の知らない僕に変わったかもしれない。ほとんど別人みたいにさ」

すばる「うん、そうかもしれない。でも私、友達に教えてもらったの。だから、みなと君はみなと君だよ

みなと「……君はそうやってまた、どこからか扉の鍵を見つけてくるんだね」

すばる「また会えたね、みなとくん!」

ここで花が映るのが、……「つぼみのまま、咲いてはいけない」とされていた、みなとがすばるに渡した花が咲いている、その様子が映るのが、すばるが変わったことを象徴しているわけです。……はあ~~~。天才かよ。

 

思い出は消えない

さて、4話がひかる回、5話がいつき回と来て、ななこ回は?と思ったところで、6,7話は、すばるとあおいの変化を描きました。なぜ、ななこ回は後回しになったのでしょうか。

おそらく、「思い出は消えない」という、新しい要素を描きたかったからではないでしょうか。「私は私」がキーワードであるということは、今まで見てきたとおりですが、それを支える要素として、この「思い出は消えない」ということが挙げられます。

過去の思い出が積み重なって、「私」を形作るということですね。

 

8話がななこ回です。太陽系最外縁部のかけらを捕まえるために、一人旅立つななこ。旅立った直後、

結局は、だれだってみんなひとりだから

とつぶやきます。

なぜこのようなつぶやきをしたのかは、ななこの回想によって明かされます。

両親が離婚するときに、父のもとに残ったななこは、母についって行った弟と離れ離れになります。「お姉ちゃんも後から来る」という、両親の弟に対する嘘を、ななこも否定しませんでした。

大人は、嘘をつく。

私もあれが、嘘だってわかってた。約束が果たされる日は、来ない。

 

結局は、誰だってみんな一人だ。誰かをどんなに愛しても、いつかは一人に戻るんだ。

 これがななこの「何者でもない」です。

 かけらを発見したななこはほかの4人を呼ぼうとしますが、心から呼んでいなかったため届きません。

やっぱり私は一人が似合ってる

と、4人を呼ぶことを諦めたななこでしたが、惑星の誕生を見て、

皆も一緒だったら、楽しいのかな

想いを言葉にし、4人を呼ぶことに成功します。

弟に「思いを伝える」という実現しなかった可能性に心を砕きつつも、「誰だってみんな一人だ」と思いふたをし、弟に手紙を書いてこなかったななこ。しかし、プレアデス星人の姿は、弟の手紙に書かれた絵がもとになったものだったということが、ここにきて明かされます。ななこは弟と離れて一人になったわけではなく、ななこの記憶の中に弟は生き続けていたのです。ななこはプレアデス星人を抱きしめて呟きます。

一人になっても、みんなで一緒だった記憶は消えないんだ。思い出は、なくならない。

これに対し4人は、ななことの再会を喜ぶ声を掛け合います。他者による承認です。

かけらを確定させたななこは、強い思いにより、他の4人と別れる前の時間に戻ります。13歳の誕生日を迎えたななこは、プレゼントの万年筆とレターセットを使って、弟への手紙を書き始めます。蓋をしていた想いに向き合い、想いを言葉にすることで、ななこも「変わりたい」という想いを成し遂げることができました。

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観ていて涙が……毎回神回じゃないか、なんだこのアニメ……

 

呪い

さて、9話と10話は、みなとにスポットが当たります。ここまで「変わりたい」という「祈り」が描かれてきましたが、この「祈り」と対の関係にあるのが「呪い」です。

10話では、幼いみなとは実現することのなかった「可能性の結晶」に心を砕いていたことが描かれます。すばるたち5人と同じく、「何者でもない」ということですね。

しかし、みなとはすばるたちとは違い、「変わりたい」という想いを言葉にすることはなく、こう言い放ちます。

僕はこれ(エンジンのかけら)を使って違う世界を探す。

この世界が僕を受け入れないなら、僕の方から捨てるんだ。僕と同じように、ここではろくな可能性を与えられなかった存在(可能性の結晶)。みんなを連れていく。この世界もすっきりするだろう。

僕は、消える

これこそが、「変わりたい」という「祈り」と対極にある、自己否定という呪いです。このような思いをみなとが描いたきっかけは回想で描かれます。重い病気で寝たきりという自分に絶望したみなとは、

この世界に可能性がないなら、過去から可能性を選びなおせばいいんだ

と吐き捨てるように言います。

これまですばるたち5人は、実現しなかった可能性に心を砕きつつも、「私は私」であることを受け入れ、未来を志向する「変わりたい」という願いを抱いてきました。これに対しみなとのこの思想は、過去向きの自己否定という呪いなのです。

君だって僕と同じ、自分を呪ってる。心のどこかで君は、このままかけら集めが終わらなければいいと、本当はそう願っているんじゃないのか。それが、君自身への呪いだ。

これを聞いたすばるは、

私、何も変われてない

と涙します。これを受けて11話では、すばるが魔法使いに変身できなくなってしまいます。会長はこの事態を以下のように解説します。

可能性の確定していない者、何者でもない者たちだけが魔法を使えるんだ。魔法を使えなくなったのは、すばるが何者かになってしまったからかもしれない。一度選んだ道は後戻りできないし、失った可能性は二度と戻らない。

これはどういうことでしょうか。

解釈の難しいところですが、私は以下のように考えます。これまですばるが使う魔法を支えてきたのは、「変わりたい」という願いです。それはここまで書いてきたように、達成されました。しかし、「このままかけら集めが終わらなければいい」という意識は、「変わりたくない」という現状維持の思いであり、「変わりたい」という願いとは対極にあるものです。ですから、この思いを自覚することで呪いとして作用し、すばるは変身できなくなったのでしょう。

それを自覚しているからこそ、すばるは父に「すばるも変わってるんだなって」と言われて、

私、ちっとも変われていないの

と涙を流します。この後のシーンで、「私は私」であることの象徴だったいちご牛乳がなくなってしまっているのが象徴的です。

この流れを変えたのは、他者による承認です。

私だって信じてる。会長がどう言ったって、すばるは変われるって

この一言をきっかけに、すばるはもう一度変身する可能性に挑み、それを実現しました。いちご牛乳も復活したのがやはり象徴的ですね。

 

一方で、すばるを置いてかけらを探しに行った4人ですが、かけらを見つけることができません。その原因を、

君たちが、心の奥底では、この宇宙に居続けたいと願っているともいえるかな

と会長は分析します。前述した呪いです。しかし、これを聞いても、4人は次々に「変わりたい」という祈りを口にします。

あおい「私は行くよ。地球を発つとき決めたんだ。かけらを手に入れて、必ず帰るって。 すばるが、信じて待ってくれてるから」

ななこ「私も行く。もう決めたことだから」

ひかる「この宇宙のおかげなんかじゃない。全部私たちが、自分の意志と自分の力でやったことだよ」

いつき「それに、今諦めたら、私たち変われないもの」

あおい「私たち、確かにずっとこのまま魔法使いでいられたら、って思ったこともあるよ。だけど私たち、変わりたいから魔法使いになったんだ。このままじゃ終われないよ」

 もう一度変身したすばるも合流し、同じ気持ちを口にします。

私、変わりたい

これを聞いた4人から他者による承認を受けて、すばるは

私、絶対あきらめないから!と決意します。

 

「私になる」ということ

最終話、すばるはブラックホールに落ちてこの宇宙から消えようとするみなとを連れ戻します。

「私はただ、今こうして触れているみなと君の温かさに、消えてほしくないだけなの。みなと君の中にある、優しさも、寂しさも、なかったことになんてしたくないの。宇宙を何度やり直しても、私のであったみなと君は、たった一人だよ」

ここにおいてみなとは、初めて他者による承認を受けたのです。

みなと「見ただろう。現実の僕は、君と言葉を交わすことさえできないかもしれない」

すばる「だけど、私たちは出会えたんだよ。出会っちゃったんだから、忘れたりしたくない、なかったことになんてできない」

思い出は消えないということですね。

すばる「みなと君の、本当の気持ちを教えてよ!」

みなと「何が欲しいとか、誰かといたいなんて、きちんと言葉にしたことないんだ」

すばる「だったら私が言う。私はみなと君と一緒にいたい。私がみなと君を幸せにする!」

 自分を呪ったみなとには想いを言葉にできなくても、「変わりたい」という願いを持つすばるにはそれができるのです。これによって、みなとの意思を変えることができました。

かけらを集めきった後、5人はみなとと共に原初の惑星に戻ります。

「ここからなら、どんな生き方を選びなおすことだってできるんだ。何になってもいい、どこからやり直してもいい。さあ、君たちは何を選ぶ?」

尋ねるみなとに、5人は手をつないで、答えを出します。

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いつき「私は」

ひかる「私は」

ななこ「私は」

すばる、あおい「私は」

すばる「無限の可能性なんて、壮大すぎてわからない」

いつき「想像できるのは、自分とそんなに変わらない女の子」

あおい「何の変哲もない、ありふれた女の子」

ななこ「ひかるみたいに、頭がよかったらいいな、とか」

ひかる「いつきみたいに、きれいな髪だったらいいな、とか」

いつき「ななこちゃんみたいに、マイペースでいられたらいいな、とか」

すばる「あおいちゃんみたいに、しっかりしたいとか」

あおい「すばるみたいに、まっすぐ素直でいられたら、って思うけど」

すばる「みんなをうらやましく思うのはきっと、困ったとき、落ち込んだとき、たくさん助けてもらったから」

いつき「完璧な誰かになりたいってことじゃなくて」

ひかる「みんながみんなだったから」

ななこ「私が、私だったから」

あおい「一緒にいられたあの時間」

すばる「だったら、私は私がいい。そしてそのときそばにいる人の、きれいなところ、いいところを、たくさん見つけてあげたい」

5人「私は、私になる」

「みんなみたいになりたい」と言っていたすばるをはじめ、自分に自信が持てず、「変わりたい」と願っていた少女たち。が、「私になる」という決断をした瞬間でした。見ていて涙を抑えられません。これほど美しいシーンがあるでしょうか。

ここにおいて、コペルニクス的転回が起こります。他者による承認を受けることで変わることを成し遂げるのではなく、他者を承認するために変わるということです。

他者による承認を受けた分、今度は他者を承認したいということですがが、そのためには、「私」は「私になる」必要があります。私は私であるから、他者に承認され、他者を承認できるのです。そして、「私になる」ということは、「私は私のまま変わらなくていい」という安易な現状維持ではありません。変わっても私は私であり、変わるからこそ「私のままである」ではなく、「私になる」ことができるのです。そして、変わったことの記憶はなくても大丈夫なのです。なぜなら、思い出は消えないからです。

すばる「こういうときって、なんて言ったらいいのかな」

いつき「きっと大丈夫。私に戻っても、みんなと出会って変われた私なんだもの」

ひかる「私も信じてるよ。自分とみんなを」

ななこ「ダンケ。グラッツェ。メルシー。謝謝。ありがとう。」

すばる「みんな、大好き!」

いつき「私も」

あおい「泣くなよすばる」

すばる「私たち変われたかな?」

ななこ「absolutely」

ひかる「どういう意味?」

ななこ「きっと。絶対。」

5人「うん!」

5人は変わりたいという祈りがかなったことを確認し合います。確かに変われたのです。だからこそ私になるのです。ああ、なんて美しいのだ……。見ていて涙が止まりませんでした。心の中では、このアニメに対する感謝の念が尽きませんでした。ありがとう、ありがとう……。

こうして5人は別れ、元の運命線に戻りました。すばるは、みなとと一緒に行くことを選びながら。

元の運命線に戻ったすばるは、この運命線のあおいに話しかけることができました。1話を見ればわかりますが、別の運命線であおいたち4人に出会う前はできていなかったことです。これはもちろん、すばるが変われたからこそ、できたことなのです。

宇宙の果てまで飛び、ブラックホールをひっくり返した末に得たものが、「話しかけることのできなかった友人と、話すことができるようになった」という変化。これが、このアニメを私が好きすぎるゆえんです。小さすぎる変化でしょうか。そんなことはありません。「変わりたい」という祈りを成し遂げること。一人の人間にとって、これほど大きなことはありません。

もともと流星雨を見るときに独りぼっちだったうえに、雨に降られてしまっていたすばるのもとに、今度は元の運命線のひかるやいつき、ななこも集まり、流星雨をみんなで見ている場面で、物語は幕を閉じます。

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変わることができた少女たちは、きっとこれからも変わり続けて、私になっていくことでしょう。そして、今度はこの物語に触れた私たちが変わって、私になる番です。これからの人生で困ったとき、落ち込んだとき、このアニメがきっと私を助けてくれるでしょう。このアニメのことが大好きです。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

夜空に浮かぶ星たちは、独りぼっちの寂しさと、巡り会う喜びを繰り返して、長い時の中をすれ違っていきます。今日の予報は流星雨。星空を見上げていると、今はまだ出会えていない、どこかの誰かのことを、ふと思ってしまいます。その誰かも、同じようにこの星空を見上げていて、星たちは空から、そんな私たちの姿を、見守っていてくれるはずです。

待っててね!

 

*1:余談ですが、ここでの「友達」とは、あおいのことを想定して言っているのでしょうね。このあと、すばるのことを「足も遅いし動作もとろいし」とあおいが言っています。

*2:余談ですが、「放課後のプレアデス」の英語のタイトルがWISH UPON THE PLEIADESなのが素晴らしいですね。「変わりたい」という思いは、まさに"WISH"と表現するのがよいです

*3:このセリフは、もう一人のみなとが角マントの姿をとっているのと対応しているのが面白いですね

*4:さらに、ブルーレイボックス付属の特典小説を読むと、この髪型はあおいが作ったという過去が語られています。尊い……

*5:ブルーレイボックスに付属の特典小説「夢々のカケラ」では、「星」について、「人によってさまざまだけど、例えばそれは流れなかった涙だ。出されなかった手紙だ。普通は忘れられてしまう物なのに、君たちはいつまでもそれを大事に胸の内にしまいこんでいる。君たちはちょっと優しすぎるのさ。何者にもなれなかったものに心を砕いて自分を重ねてしまう」と、みなとの口によって語られています。

*6:「『自己』とは、内省によってみいだされる主観的自己であるよりは、社会集団のなかで自覚され、評価される社会的自己のことである。個人は共同体の固有の価値観に事故を同一化し、その中で様々な社会的役割を積極的に引き受けることによって自己を確立する」日本大百科全書より