月見草アニメ!

ブログ名は「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という野村克也氏の名言からつけました。月見草のように、目立たないながらも良さがあるアニメやゲームについて、語ることを目指します。

どうしようもない現実を生きる想いに寄り添う~ブルリフ燦で見えた「ブルリフらしさ」~

PC・スマートフォンゲーム「BLUE REFLECTION SUN/燦」(以下「ブルリフS」と呼称)の情報が解禁された先月、シリーズファンの間でもブルリフSについて議論が紛糾する中、私は以下の記事を投稿しました。

 

tsukimisouanime.hatenablog.com

この記事で私は、「ブルリフの本質とは何かを明確にしてから、ブルリフSについて議論すべき」と主張しました。

その後、私はブルリフSのCBTをプレイする機会に恵まれ、この記事を投稿したときは明確にすることができなかった私の考えも、だいぶはっきりとした形ができてきたように感じています。賛否の分かれるブルリフSですが、私にはとてもブルリフらしい作品に思えました。そんなブルリフSに触れたことで、ブルリフの本質というと大げさですが、シリーズを通したブルリフらしさとは何なのかということが、多少なりとも見えてきたのです。

そこで本稿では、ブルリフらしさとは何かということについて、現時点での私の考えを述べておきたいと思います。

ブルリフSのCBTをプレイして私が感じたブルリフらしさとは、「どうしようもない現実を生きる想いに寄り添う」ことです。この視点から、過去のシリーズを順に振り返っていきます。

 

「想いがあれば変えられる」ブルリフR

まずはTVアニメ「BLUE REFLECTION RAY/澪」(以下、ブルリフRと呼称)についてです。シリーズの順番としては2番目の作品ですが、この作品から検討するのがわかりやすいです。

ブルリフRにおいては、少女たちの苦しみを生み出す社会の姿が繰り返し描かれます。

6話では、山田仁菜の過酷な生い立ちの原因となった母子家庭の貧困に対して、「民間による自助努力が求められ」るという音声をテレビから流しています。22話では、水崎紫乃の苦しみの原因になっている聖イネス教について、社会が支持する様子が描かれます。

このような社会に対して、平原美弦は17話で、以下のように苦悩します。

リフレクターって、本当に誰かを守れるのかな。

私たちの力ではどうにもできないことが、この世にはあふれている。大人たちが苦しむ少女たちを生み出し、見て見ぬふりをしている。結局、私たちのやってることは一時的なものにすぎないんじゃ……

いくら特別な力があっても、リフレクターに直接世界を変えることはできないということを象徴したセリフです。このような発想から、「間違った世界を変える」という発想で動いたのが、ルージュ陣営の紫乃であり、美弦であるわけです。

ルージュリフレクターとなった美弦は11話で言っています。

リフレクターは、誰も守れない。

リフレクターは暴走した想い、フラグメントを鎮めることができる。だけどそれは一時的なものにすぎない。暴走した原因を排除しない限り、少女たちの苦しみは繰り返されていく。そんな子たちを私は何度も見てきた。理不尽な目に遭い、苦しむ少女を大人たちは見て見ぬふりをした。けれどそれは、何もできずにいた私も同じ。リフレクターは、誰も守ることができない。

このような美弦の苦悩に対して、この作品は、苦しむ少女たちへの連帯を描く一方で、おそらく意図的に「社会」や「大人たち」との対峙を描いていません。24話通して、作中に男性が「コンビニ男」しか出てこないのが象徴的であると言えます。

そして、美弦が抱えていた悩みに対しては、最終話である24話の平原陽桜莉と羽成瑠夏のセリフがアンサーになっています。紫乃の手を握って、陽桜莉はこう言いました。私の大好きなシーンです。

紫乃ちゃんが怖い時はずっとそばにいる。何度だってこの手をつかむ。誰かに引き離されそうになっても、絶対に離さない

陽桜莉の言葉に、瑠夏も続きます。

この世界だって、あなた(紫乃)の、私たちの想いがあれば変えられる

最終話において、紫乃は想いを管理すること、そして世界を変えることをやめました。結局、苦しむ少女たちを生み出す世界は変わっていません。紫乃にとっては双子の姉である加乃を失った現実は変わりません。それでも、最終話で紫乃は確かに救われたのです。

いくら特別な力があったって、リフレクターには直接世界を変えることはできなくて、できるのは想いを守ることだけ。でもそれで大丈夫なんだ、という物語の作りが、私は好きなのです。

この作品を見て、現実につらいことや苦しいことがあって、それらを直接変えることはできなくても、あなたの想いがあれば大丈夫なんだよ、と背中を押してもらったような気持ちになりました。

理不尽な世界を変えていくという物語もひとつの形ではあるでしょう。ですが、現実がそう簡単に変わらない以上、「不条理な世界が変わる」という物語よりも、「世界が不条理でも、自分の気持ち次第で大丈夫なんだ」という物語の方が、現実の誰かを救うのかもしれません。

ブルリフRは、不条理な現実を生きる誰かの想いに寄り添う傑作でした。

 

初代ブルリフで日菜子が得たもの

さて、以上のような視点で「BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣」(以下初代ブルリフと呼称)を見ると、白井日菜子が最後に行った選択も、現実を変えることができていません。

初代ブルリフのクライマックスで、親友であるユズとライムが消えてしまうことを受け入れて、世界を守るために戦うという選択を日菜子は迫られます。仲間たちは日菜子の想いに寄り添い、葛藤の末、日菜子は戦うことを選びました。

日菜子の選択によって世界が滅亡を免れたという意味では、日菜子の選択は現実を変えたと言えます。しかし、日菜子にとって、リフレクターになったときはまず脚、なった後はユズ・ライムという存在の方が世界よりも大事で(誇張ではなく、最後の決断をした時の動機が世界を守ることそのものではなく、ユズとライムの想いを大切にすることだったのを考えれば明らかです)、リフレクターの力をもってしても、大事なそれらを直接変えることはできませんでした。

選択の末に残ったのは、日菜子にとってはバレエも、ユズとライムも失った悲しい現実。では日菜子は不幸だったのかというと、そんなことはないと思います。ユズとライムの想いを守ることができ、何より「ユズとライムのことを絶対に忘れない」という願いは叶ったからです。

日菜子の選択の結果、日菜子・ユズ・ライムの3人の想いは守られました。現実がどれほど理不尽で、それらを直接変えることはできなくても、人の想いだけは守ることができたのです。初代ブルリフのエンドロールで、笑顔で人魚姫を演じる日菜子を見て、想いがあれば、きっとこの先何があっても日菜子は大丈夫だと思いました。

余談ですが、日菜子が演じる役が人魚姫というチョイスが秀逸だと思います。「人魚姫」においても、人魚姫は声を失い、王子と結ばれることもありません。そして、最後は泡となって消えてしまいます。しかし、そのような悲しい物語でありながら、最後まで読めば人魚姫にも救いがあり、悲劇ではないことがわかります。

幸福とは、悲しいことや苦しいことが存在しない状態を言うのではなく、悲しいことや苦しいことがあっても大丈夫な状態を言うのではないか。初代ブルリフの物語に触れて、私はそんなふうに思いました。初代ブルリフも、まぎれもなくどうしようもない現実を生きる想いに寄り添った作品でした。

 

ブルリフTが描く、自己というどうしようもない現実

さて、ここまでブルリフRと初代ブルリフについて、「不条理な現実を変えることはできなくても、その現実を生きる想いに寄り添う」ことが描かれていると指摘してきました。一方で、「ブルリフTは違うではないか」という指摘もあるかもしれません。「BLUE REFLECTION TIE/帝」(以下「ブルリフT」と呼称)は、最終的には滅んでしまった世界を再構築する、つまり現実をどうにかしてしまう物語だからです。しかし、ブルリフTにおいても、描かれていることは過去の二作と変わらないと私は考えます。

主人公の星崎愛央は、平凡な自分に悩み、冒頭で「何者かになりたい」と願います。しかし、結局平凡な自己は変えることができませんでした。ブルリフTにおいては、この自己こそが、これまでのシリーズで描かれてきたどうしようもない現実にほかなりません。

こころも、私も、きっと他のみんなも、理想通りの自分にはなれなくて

でもだからこそ、周りを頼って、お互いの足りないところを埋め合っていくしかない……

愛央がみんなのリーダーとして失態を犯して落ち込んでいるときのイベントで、話す相手に靭こころを選択すると、上記のような会話を見ることができます。

愛央はこうも言っています。

弱音を吐いちゃいけない。だれにも頼らず、一番前を歩かないといけない……

リーダーって、そういう存在だと思ってた

でも、違ったんだ

そういうふうに突き進める人もいるかもしれないけど……私は、そうじゃない

私はやっぱり、特別な人間にはなれなかった。けど……相談してみて分かった

――私はこのチームが好きだ。この世界で出会ったみんなのことが好きだ

だから……みんなとのつながりを失いたくない。私は、私にできることをしたい……!!

愛央がどうしようもなく平凡な自己を受け入れると同時に、自らの想いを自覚した瞬間でした。

愛央だけではありません。誰かに手を差し伸べたいと願いながらも、手を差し伸べる強さを持っていないことに悩むこころ、自分以外の人を信じられなかった宮内伶那、不治の病である灰病を患っていた金城勇希……。ブルリフTの登場人物はみな、どこかどうしようもない自分に対する悩みを抱えた人物ばかりです。そして、彼女たちがそんな自分を受け入れ、お互いに助け合っていく姿は美しいものでした。

ブルリフTもまた、非常にブルリフらしい作品であったと言えます。

 

ブルリフSのCBTで見えたブルリフらしさ

さて、ブルリフSのCBTをプレイしてみると、このゲームがこの上なくブルリフの性質を持った作品であることがわかります。

CBTをプレイできなかった方も多いため、ネタバレになるようなことは書けませんが、病や異形の存在である「異灰(テスタ)」を生み出す灰の降るどうしようもない現実を生きる登場人物たちの想いに、私は引き込まれました。

優しすぎるが上に、他人の痛みを感じ、そのことに耐えられなくなってしまった人物。そして、その人物の想いに寄り添う別の人物。あるいは、辛い現実に後ろを向いてしまったある人物の想いに別の人物が寄り添い、後ろを向いていた人物が再び前を向く姿……。

冒頭で引用した記事では、私はブルリフSについて「期待4割、不安6割」と書きましたが、CBTをやった今では「期待9割、不安1割」です(ちょろい)。「ブルリフの本質は何か」というこの記事の問いに、ブルリフSが私にとっては満点の解答を出してきたからです。

議論の分かれるブルリフSですが、少なくともこれまでのシリーズの作品が持っていたブルリフらしさを存分に備えていることは断言できます。期待して正式リリースを待ちたいと思います。

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。