月見草アニメ!

ブログ名は「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という野村克也氏の名言からつけました。月見草のように、目立たないながらも良さがあるアニメについて、語ることを目指します。

「壁」が壊れるとき~劇場版 プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章考察・感想~

はじめに

2月11日に公開された映画「プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章」。個人的に2月は忙しかったこともあってなかなか観に行けませんでしたが、3月に入ってようやく観に行けました。結論から言うと、TVシリーズの続編として素晴らしいの一言に尽きます。もう公開終了も近づき、上映している劇場や回数が減りつつある中、2週連続で観に行ってしまいました。映画館から帰ってきた勢いでこの記事を書いています。

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↑ちなみに来場特典のフィルムはタイトルロゴでした。ある意味レアでは……。

秋には第2章が公開予定ということで、なぜこの作品が続編としての素晴らしさと、今後の展望を述べてみたいと思います。

それには、まずTVシリーズがどのような作品だったのかを振り返っておかねばなりません。

 

 

TVシリーズ振り返り① 嘘

この作品において、まず第一に「嘘」が重要なキーワードであることは疑いありません。「殺すのか」というエリックの問いかけに「いいえ」と言いながらエリックを撃ち殺すアンジェが象徴的です。このほかに、

・1話でエリックの妹のために保険金を用意したアンジェに「優しいのね」と語りかけるプリンセスに、「私は優しくなんかないわ」と答えるアンジェ

・10話でドロシーが友達の委員長を撃たなくて済むように委員長に仕掛けたが、その理由を「任務を確実に遂行するため」と語るアンジェ

・11話でプリンセス暗殺指令に「命令には従うだけ」と答えるアンジェ

など、アンジェがついた嘘を数え上げればきりがありません。

 

また、チーム白鳩の面々はみな嘘をついています。

・アンジェとプリンセス→幼少期からの知り合いであり、入れ替わっている

・ドロシー→プリンセスを監視していることを仲間は知らないこと

・ちせ→チーム白鳩に属しつつ、日本が王国につくか共和国につくべきかを探っている

・ベアト→……あれ?まあいいや。

 

では、なぜこれらの嘘は必要なのでしょうか。それは、この作品世界の中で生きていくためです。

プリンセス・プリンシパルの作品世界は、残酷で無慈悲なものとして描かれます。王族は優雅な暮らしを営む一方で、市民は貧困に苦しみ、11~12話では再び革命が起きる寸前までいきました。プリンセスはもともとスリの女の子でしたし、ドロシー、ベアト、ちせそれぞれ「優しい父親」に恵まれていないのも、この残酷な世界を象徴していると言えるでしょう。3話でベアトが「神様は何もしてくれない」と言っていたり、8話でアンジェが「ひどい国よね」と言っているのがわかりやすいと思います。

このような世界を生き抜くうえで、「嘘」は自分の心を守るために不可欠なのでしょう。残酷な世界へのアンサー、それが「嘘」なのです。

 

TVシリーズ振り返り② 絆

一方で、チーム白鳩の関係は嘘だけでできているものではありません。

・6話では、スパイであるにもかかわらずベアトに素性を明かすドロシーに対して、ベアトは「私たちもうカバーじゃなくて本当の友達ですね」と言っている

・9話では、監視役であるにもかかわらず、チーム白鳩についてちせが「あの者たちに勝利してほしいと思っています」と語っている

・11話でプリンセス暗殺指令に対して「私は殺したくない」とドロシーが本音を吐露する

上記のように、チーム白鳩にはスパイのチームという枠組みを超えた「絆」(正直、この言葉には負の感情を抱いてしまうところがあるのですが、主題歌「LIES&TIES」に敬意を表してこの言葉を使います)が存在しています。

 

さらに重要なことは、この物語において「絆」は「嘘」を壊すということです。

 

プリンセスが「女王となって、私たちを隔てているものをなくしたい」「壁を壊したい」と言っていますが、ここにおける「壁」という言葉こそが、「嘘がはびこる残酷な世界」を象徴しています。これは、単に物理的な壁ということではなく、人と人の心を隔てているという意味での精神的なものも含めた「壁」です。

 

そして、「女王となって壁を壊す」というのはアンジェとの約束、「絆」から生まれたものです。プリンセスはもともと本物のプリンセスではない、「嘘」のプリンセスでしたが、8話ではこの決意を語ったことを受けて「あなたはもう本物のプリンセスよ」とアンジェに言われます。「嘘」も「絆」から生まれたものならば本物になるのです。

 

アンジェも、11話~12話でプリンセスを守るためとはいえ仲間に嘘をついて暴走しますが、結局は仲間を頼ることでプリンセスを助けることに成功し、最後にはプリンセスが「あなたの心の壁も壊して、みんなの前で笑える日が来るまで、絶対に離れない」と言っています。「心の壁」というのは、本心を話さず嘘をつくところであることは言うまでもありません。

 

チーム白鳩も、「嘘」に従えばプリンセスを暗殺するのが正解でしたが、最終的には「絆」を優先し、プリンセスを救い出したところで物語は幕を閉じます。嘘がはびこる残酷な世界の中で、異なる価値観に基づく選択をしたチーム白鳩は、作中でも触れられた「ノアの箱舟」で放たれた鳩のごとく、混沌とした世界の中で一筋の希望となるでしょう。

 

プリンセス・プリンシパル」は、「絆」が「嘘」という「壁」を壊す物語であるのです。

 

 

ビショップの壁が壊されるとき

さて、TVシリーズの振り返りが終わったところで、劇場版第1章の物語について考察してみます。

 

一般には、非業の死を遂げるビショップ、チーム白鳩に迫る危機、どうなる?という見方になるところでしょうが、上記のようなTVシリーズの見方に従うと、違った面が浮き彫りになってきます。

 

まず触れておきたいのは、ビショップというキャラクターです。王室内にいるコントロールのスパイでありながら、コントロール側の情報を「雇い主」に売っていたという「嘘」の象徴のようなキャラクターです。

 

プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章」は、まず第一に、この「嘘」の象徴のようなビショップの「心の壁」が壊れる物語である、と言えます。

 

このビショップが共和国の情報を売っていたことをアンジェたちに見抜かれた後、王室から逃亡するときのシーンがまさに「心の壁」が壊れる場面として印象的です。それまでのスパイとしての厳格な態度は消え、柔和な口調そのもので「嘘をつくことに疲れた」とビショップは語ります。このあたり、飛田展男さんの演技も光っています。

 

プリンセスに対しては、「あなたにお仕えできたことは私の誉れ」と本音で語りますが、これはよく考えれば奇妙なことです。ビショップの「侍従長」としての姿は「嘘」であり、真の姿はスパイであるからです。それなのになぜこのような語りをするのでしょうか。

 

それは、やはりTVシリーズと同様、「絆」から生まれた嘘であれば本物になるからです。プリンセスに仕えるにあたっては真に敬愛の念を抱き、プリンセスとビショップの間には主従としての「絆」があったのでしょう。それは紛れもなく本物であったのです。ビショップが逃亡するときにプリンセスが自ら望んで見送りに来たことからも、プリンセスにビショップを慕う心があったことが読み取れます。

 

一方で、ビショップは逃亡に際し、思い出の菓子をアンジェから受け取ります(この菓子の意味、1周目では気づかないですよね)。この菓子から、ビショップはアンジェが持つ彼自身への親愛の情を感じ取ったことでしょう。アンジェに対しても「10年ぶりにお会いできてうれしかったですよ、シャーロット殿下」と語り、直後に非業の死を遂げるに際して「嘘をつき続けるとあなたもこうなる」と絞り出すように言います。それまでの「嘘」をつき続けた自身を否定する言葉です。非業の死に見えますが、プリンセスとの「絆」、アンジェとの「絆」によってビショップの心の壁が完全に取り払われたシーンであるという意味では、幸せな最期であるとも言えるでしょう。

 

アンジェの壁が壊されるとき

この劇場版を鑑賞して第二に目につくのは、TVシリーズ最終回におけるプリンセスの言葉どおり、プリンセスをはじめとするチーム白鳩の面々がアンジェの「心の壁」を壊していることです。

 

今回も、ビショップにプリンセスとの入れ替わりが見破られたことをアンジェは一人抱え込もうとしますが、「何もない」という嘘をプリンセスにあっさり見抜かれ、チーム白鳩にこのことを打ち明けます。ここで、プリンセスだけではなく、ドロシーもアンジェの様子がおかしいことに気づいていることにも注目すべきです。「絆」が「嘘」を壊すのです。

 

また、アンジェは当初、ビショップに対しても本音を隠してあくまでスパイとして接します。「10年ぶりにお会いできてうれしかったですよ、シャーロット殿下」とビショップに語り掛けられても、「私はもう……」とこぼすだけで、本心から応答しませんでしたが、ビショップが撃たれた瞬間、それまでの「ビショップ」という呼び方から「ウィンストンさん」と呼び方を変え、最後のシーンでは思い出の菓子を見ながら、ビショップがいなくなったことについて「寂しい」という心情を吐露します。

 

嘘をつき、本心を語らなかったTVシリーズから比べると、アンジェの心の壁も「絆」によって確実に壊されたと言えるでしょう。

 

おわりに~壁は壊れるのか~

以上のように、「プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章」は、ビショップとアンジェ、2人の「嘘」という心の壁が壊れる物語でした。TVシリーズ最終話におけるプリンセスのセリフどおりの展開になったわけで、この作品がTVシリーズの続編として素晴らしい理由はここにあります。

 

では、第2章以降はどうなるのでしょうか。

 

もちろん、プリンセスが誓ったとおり、物理的なロンドンの壁だけではなく、あらゆる人々を隔てている心の壁が壊されることを、今後期待するところです。

 

しかし、もっと具体的なことを言っておくと、チーム白鳩の面々がお互いに秘密を明かすときが来てほしいと思います。ここまでの物語を通じて高まったチーム白鳩の「絆」であれば、嘘などつく必要がない日が来ると信じています。

 

さらにもう一歩踏み込むと、プリンセスがチーム白鳩だけでなく、全国民に正体を明かすときが、真に「壁」が壊されるときであるでしょう。

 

TVシリーズでは、アンジェだけでなく、イングウェイに正体を明かしても、プリンセスは真のプリンセスであると認められ、さらに今回の劇場版では、正体を知っているビショップが「立派なプリンセス」としてプリンセスのことを認めていました。絆から生まれた嘘は本物になるのです。

 

プリンセスの正体が全国民に明かされても、敬愛すべき人物としてプリンセスが国民、いや世界の人々から慕われる……そんな日が描かれることを思い浮かべるのは、夢想でしょうか。

 

世界から「壁」がなくなることを願ってやみません。

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

「私になる」ということ~ジュブナイルSFの金字塔「放課後のプレアデス」を読解する~

寄り添うように輝く星も、本当は、一つひとつが、何光年も遠く離れています。何もない空で一人輝きながら、みんな、同じように星たちを見上げているのかもしれません。その輝きが、いつか誰かに伝わるって信じながら。今日の予報は流星雨。こんな夜は、星空を見上げて、肩を寄せ合って、ささやくような星たちの輝きに、そっと耳を傾けてみませんか。寄り添うように輝く、星たちに混ざりながら。

 

2015年4月から放送されたTVアニメ「放課後のプレアデス」。

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放送当時、私はこのアニメを観て、すっかり心を奪われてしまいました。このアニメのことが好きなあまり、ブルーレイを全巻そろえた上に、ブルーレイボックスまで買いました。新宿ロフトプラスワンで行われたスタッフトークイベントに参加したのもよい思い出です。
しかし、なぜこのアニメを好きなのかは、ずっとうまく説明できないままでした。大好きなのは確かなのですが、このアニメに込められているものが大きすぎて、それをうまく消化できていないような感覚が、絶えずつきまとっていたのです。このアニメに込められているものが10あるとすれば、自分の腑に落ちているのはせいぜい1か2くらいなのではないか。そんな思いを抱えたまま、いつしかこのアニメを観ることはなくなり、5年の月日が過ぎました。
転機は、5月にこの記事を書いたことです。

 

tsukimisouanime.hatenablog.com

 

アニメ「Re:ステージ!ドリームデイズ♪(略称リステDD)」について書いた考察記事です。この記事を書いた後、私は「放課後のプレアデス」を見て、その素晴らしさを語ってみたい衝動にかられました。

それがなぜなのかは、自分でもわかりません。あとから考えると、この2作品の底に共通して流れている精神性のようなものを、なかば無意識的に読み取っていたのかもしれません。

ともかく、私は「放課後のプレアデス」を数年ぶりに観て、自分がこのアニメの何にこれほど惹かれているのかを、どうにか言語化してみることにしました。今年、2020年はちょうど放送5周年でもありました。この記事を目にされた方がこのアニメを知ったり、思い出したりするきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。

 

さて、このアニメの素晴らしさは、「変わる」ことによって「私になる」という物語性にあります。

 

目次

 

「変わりたい」という祈り

放課後のプレアデス」という物語の出発点となるのが、少女たちの「変わりたい」という願いです。

主人公のすばるは、自己肯定感が低い少女として描かれます。1話でみなとと出会う場面では、

私、いつも要領悪くて、友達からもよく鈍くさいって言われるんです。

と口にします。*1

続けて、流星雨の観測にみなとを誘いますが、「なんで?」とみなとに問い返されたことで、拒絶されたように感じ、誘うことを諦めてしまいます。

このあと、

ああ~もう~恥ずかしい~!

と頭を抱える姿がいとおしいです。

さて、すばるは魔法使いに変身したあおいたちと出会います。

あおいちゃん、どうしてこんなことしてるの?

と問うすばるに、あおいは

変わりたかったんだ。私は、変われなかったから。すばるは違うのか?すばるは、変われたんじゃないのか?

と答えます。

よくわかんないけど、だったらそれ、きっと違う私だよ。

変われるかな

 とすばる。

すばるもあおいも、自分に自信が持てず、変わりたいという願いを胸に秘めていたのです。変われるかな、という言い方を踏まえると、達成する確信の持てない願いであり、その点、祈りといった方がいいかもしれません。*2

 

想いを抑えず、言葉にする

では、この変わりたいという祈りは、どうやって達成されるのでしょうか。それは、「想いを抑えず、言葉にする」ことです。

1話では、魔法使いになって宇宙船のかけらを集めることに反対するあおいに対し、すばるは

私、やってみるよ

あおいちゃんにできるなら、きっと私にもできるよ!

とはっきり言います。

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結果として、すばるたち5人は、今まで手にしたことのなかった宇宙船のかけらを手にすることができ、さらにすばるは、冒頭では見ることのできなかった流星雨を見ることができました。

 

さらに2話では、

私ともう一度、飛んで!

と、あおいにすばるが言ったことによって、二人は仲直りします(2話については、後ほど詳しく見ていきます)。

 

3話では、

足手まといにしかならないなら、私、みんなと一緒にいちゃいけないんじゃないかって

とすばるが迷いますが、最後には、

私がうまく飛べなかったら遅くまで付き合ってくれるし、みんなとっても優しいよ。出来損ないなんかじゃない!みんな優しい。私や、宇宙人さんたちのために一生懸命になってくれて、……私みんなといたい!みんなみたいになりたい!

私うれしいよ。あおいちゃんと一緒に居られて、とってもうれしいよ!

と、想いをを言葉にします。結果として、

私たちだってすばると何も変わらないんだ。一緒だよ。だから、私もうれしいんだ!

と、あおいから言ってもらうことができました。

 

私は私

一方で、この「変わりたい」という「想い」を「言葉にする」ことを支えるのが、「変わっても、私は私である」という感覚です。

このことが色濃く表現されているのが2話です。順番に筋を追っていきます。

すばるにあおいがいちご牛乳を渡し、

すばる、これ好きだろ?

と言ったのち、慌てて

違った?

と聞き返します。すばるとあおいはもともといた世界が違うため、正確には「すばるの知らないあおい」と「あおいの知らないすばる」なのです。 

このやりとりののち、すばるは逃げ出してしまいます。逃げた先には、いつもの温室とみなとが待っています。

「 久しぶりに会った友達となんだかうまくいかない」

という言葉で表現されたすばるの悩みに対し、

変わってほしくないんだね。君の知らないうちに、君の知ってる人が、君の知らない人に変わるのが嫌?それとも、変わりたくないのは君の方?

 とみなとは返します。

わからないと応じるすばるに、みなとはすばるの髪のくせを「角」と呼び、「かっこいいね」と言います*3*4。さらにみなとは続けます。

 変わりたいと思ったって、そう簡単には変われないよ。君はどう?

これに「無理です」と答えるすばるの髪のくせが、抑えても治りません。「私は私である」ことを象徴するシーンです。みなとは畳みかけます。

君の友達だってそうなんじゃないかな。ね、だったらさ。なればいいんじゃないかな、友達に。

これを受けて、すばるはあおいと話すことを決断します。

私がいちご牛乳好きなことも おぼえてくれてた。私、うれしくてちょっと泣いちゃった。

これにあおいが、

やっぱりすばるは泣き虫だな

と返したことによって、ぎくしゃくしていた二人の仲は戻ります。想いを言葉にすればよいということですね。この後のシーンで、二人はお互いに、

やっぱりお前は私の知ってるすばるだよ

あおいちゃんも

と言い合います。

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世界は違っても、「すばるはすばる」「あおいはあおい」ということを確認し合うシーンであると言えるでしょう。このあと、星めぐりの歌に合わせてかけらを捕まえるのもよいですね。

 

「そう簡単に変われない」「私は私」ということは、一見すると「変わりたい」という想いと矛盾するように思えます。しかし、そうではありません。「変わる」ことによって、別人になってしまうのだとしたら、「変わりたい」と思うことが難しくなってしまいます。「変わっても、私は私である」という安心感があるから、「変わりたい」と思うことができるのです。

私は私である」という感覚が、すばるにとってのあおい、あおいにとってのすばるという、他者からの承認によって獲得されているのも注目すべきであり、後述します。

さて、「変わっても、私は私である」という確信を得たすばるとあおいは、「変わりたい」という想いを強めていきます。しかし、「私は私でしかない」のであれば、なぜ「変わる」必要があるのでしょうか。

それは、「何者でもない」からです。詳しく見ていきましょう。

 

「何者でもない」ということ

この「何者でもない」ということが描かれるのは3話からです。

僕が協力者として君たちを選んだのは、君たちが可能性の塊だからだ。君たちは、様々な可能性が重なり合ったまま、まだ何者にも確定していない、どっちつかずの存在だ。子供でもないが、大人でもない。そして、まだ何者でもない、あるいはなろうとしない、幼い心のまま大人に近づいた、そんな矛盾した存在が君たちだ。

これを聞いてひかるが言います。

ポンコツだ。聞こえはいいけど、要は私たちって何者でもないポンコツってことだよね

すばるも、エンジニアの父が持ち帰った規格外品に自らを重ねて、

不良品じゃいくら集まったって、なんにもできないよ

と涙を流します。このアニメの、こういう繊細さが大好きなんですよね。

みなとにも、

きっと私は、私の可能性の中で、一番何者でもない私なんだ。きっとそうだ。だから選ばれたんだ。なにも選べない私が……。

と話します。

この、「何者でもない」ということは、どういうことなのでしょうか。

すばるは「なにも選べない」と表現していますが、もう少し詳しく定義すると、「実現しなかった可能性に心を砕き、いつまでも心の奥にしまっておくこと」です*5

実現しなかった可能性とは、ひかるにとっては、「自分が音符を書き込んだことによってできた、父が作った曲を聴くこと」であり、いつきにとっては、「おてんばな自分の思うままに行動すること」であり、ななこにとっては、「両親の離婚に伴い離れ離れになった弟に、自分の想いを伝える」ことです。

 

この「何者でもない」という心の葛藤は、前述したように「想いを言葉に」して(私みんなといたい!みんなみたいになりたい!)「変わりたい」という祈りを達成することによって、解消します。

現実の君たちが、何者でもなければないほど、僕はその可能性を君たちの力に変える。それがいま、君たちに地球や宇宙を肌で感じさせているんだ。生まれ落ちた瞬間から、何の可能性も選択肢も持たないものもたくさいんいる。なのに、君たちと出会えた僕は、とても幸運だ!

というプレアデス星人のセリフ、さらには

人間は部品とは違うよ。たった一つの形に決まらなきゃいけないなんてこともない。そもそもすばるは、まだ何の形にもなっていないじゃないか。だから、悲しいことなんてない。

というすばるの父のセリフで3話は幕を閉じます。

「なんにもないならなんにでもなれるはず」というOPにあるとおりで、「何者でもない」がゆえに、「変わりたい」と思う、「変わる」ことができる、ということが読み取れます。自己肯定感が低いゆえに、「何者でもない」ことを「不良品」「ポンコツ」と悲観していたすばるたちでしたが、「何者でもない」ことを肯定することができました。

なぜこうなったのでしょうか。それは、「他者による承認」があったからです。

 

他者による承認

3話ラストのすばるとあおいのやりとりを再掲します。

すばる「 私がうまく飛べなかったら遅くまで付き合ってくれるし、みんなとっても優しいよ。出来損ないなんかじゃない!みんな優しい。私や、宇宙人さんたちのために一生懸命になってくれて、……私みんなといたい!みんなみたいになりたい!」
「私うれしいよ。あおいちゃんと一緒に居られて、とってもうれしいよ!」

あおい「私たちだってすばると何も変わらないんだ。一緒だよ。だから、私もうれしいんだ!」

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このやりとりには、どのような意味があるのでしょうか。そもそもすばるは、

足手まといにしかならないなら、私、みんなと一緒にいちゃいけないんじゃないかって

という葛藤を抱えていました。この葛藤が解決したのは、ひとつには前述したように「みんなといたい」「あおいちゃんと一緒に居られてうれしい」という「想いを言葉に」したことがきっかけですが、その結果として、「私たちだってすばると一緒に居られてうれしい」という「他者による承認」が得られたからです。

振り返ると、2話でも「すばるはすばる」「あおいはあおい」という感覚を、自分で認めるのではなくて、お互いに承認することによって確固たるものにしていました。「想いを言葉にする」結果として「変わった」かどうかは、自分では判断できません。想いを言葉にする結果として、他者による承認が不可欠なのです。

アイデンティティ」という概念を考えてみるとわかりやすいでしょう。「私が私である」という意識は、社会から認められることによって確立するのです。*6

 

さて、「放課後のプレアデス」という物語は、前半1~6話と、後半7~12話に分けられますが、さらに前半を1~3話の第一部と4~6話の第二部に分けられます。第一部の1~3話で、物語に必要なキーワードが出そろいました。「何者でもない」がゆえに、「変わりたい」という祈り(WISH)を抱く。変わりたいという祈りは、「私は私」であるという感覚によって支えられており、「想いを言葉に」して「他者による承認」を得ることで達成されるのです。

第2部からは、すばるだけでなく、ひかるやいつきがこの過程をたどっていきます。

 

想いを言葉にする~ひかるの場合~

ひかるの願いは、「誰もしたことないことをする」ことです。

だってこんなのだれもやったことないよ、面白そうじゃん

4話では、幼少期に父が作曲している譜面にソの音符を書き込んでしまったが、その曲を聴くことができなかったというひかるの葛藤が描かれます。曲に音符を書き込んだことは、「誰もしたことないこと」ですが、その思いにふたをしたまま、ひかるはここまで生きてきたのでしょう。「何者でもない」ということですね。

すばるからひかるの話を聞いたみなとが、

君は人がいいな。言葉なんか信じてる

すばるは自分の気持ちをそのまま言葉にできる?

自分でも気づかないうちに、鍵をかけている扉もある

 と語るのが、まさにひかるが「何者でもない」ことを表現しています。「鍵をかけている扉」が、「想いを言葉にする」ことの対比的な表現として秀逸ですね。

ひかる自身も、自身が「何者でもない」ことを語ります。

かっこつけたこと言ったって、本当はなんだって中途半端にしかできないんだ。だって、お父さんの作った曲だって、私は最後まで聴く勇気もないのに。会長の言う通り、私は誰よりも何者でもない。資格は十分だよ。

怖くなった。私の書いた一小節が、お父さんを困らせちゃうんじゃないかって。そう思ったら怖くてたまらなくなって。私はその曲を、最後まで聴けなかったんだ。

そうだよ。知るのが怖いんだ。私は……

そんなひかるが、「想いを言葉に」し始めます。一歩目は、書き置きにその日の自分の行き先として「月!」と書いたことです。ここでソの音が鳴るのが天才的な演出なんだよなあ……。これを見たひかるの母が

あの子が今まで、私たちに嘘ついたことある?

と言うのも、みなとの「言葉なんか信じてる」と対比になっていて、深いですね。これを受けて、月にいるひかるに演奏を届けようと両親は考え、父の演奏によって、ひかるは曲を聴くことができました。

迷惑なんかじゃないよ、小さいひかるちゃんのしたこと。だからこうして弾いてる、聴かせようとしてる。

とすばるが言います。他者による承認ですね。

最後までなんて聴けないよ。だって、聴いちゃったら、私泣くしかないってわかってる。だけど、そんなとこ誰にも見られたくない。

曲を聴いたひかるは涙を流します。涙が月に散らばっていく演出が美しすぎます。

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涙という形で想いを表現したひかるに対し、すばるたち仲間は笑顔を向けます。他者による承認です。

ななこ「圧倒的じゃないか」

あおい「泣くほどうれしいことなんてそうないよな」

このあたり、セリフの一言一言も素敵です。この4話が神回と呼ばれるるゆえんです。

 

想いを言葉にする~いつきの場合~

5話では、いつきの葛藤が描かれます。いつきの願いは「空を飛ぶこと」です。しかし、そんな自らのおてんばが原因となった幼少期の事故で家族を悲しませてしまい、それがトラウマとなり、いつきは自分の想いにふたをして生きてきました。やはり、「何者でもない」ということですね。

学園祭ですばるたちのクラスは劇をやることになりますが、いつきはお姫様役に選ばれます。劇のあらすじはこうです。

――「こうなればいい」お姫様の言葉が耳に入った途端、どんなことも現実になってしまう。その力を恐れた王様とお妃様によって、お姫様は塔の中に閉じ込められる。あるとき、その塔に遠い国の王子様がやってくる。閉ざされた扉の中でお姫様は「私は消えてしまいたい」と言い、落雷とともにいなくなってしまう――

劇中のお姫様が、想いにふたをしているいつきとシンクロしているのがわかります。なお、お姫様が言ったことは「自己否定という呪い」であり、のちのみなとと重なるのですが、これについては後述します。この後の場面で、すばるが「みなとくん、お姫様みたい」と言っているのが面白いですね。

余談ですが、すばるが教室をのぞいた時にいつきが着替え中だったのって、王子様の服を着ようとしていたのでしょうね。

すばると一緒に宇宙へ飛んだいつきは、自らの過去を語ります。

お願いなんてないわ。私、そういうこと考えないようにしてるの。自分のしたいことをしたって、誰かに迷惑かけるだけだもの。私は、わたしのわがままで、誰かを傷つけたくないから。

私のわがままが、みんなを傷つけた。この傷は、それを戒める罰だって思った。

想いにふたをする心情の動きと重なって、事故でできた傷のあるおでこを隠す動きが繰り返されるのが象徴的です。おでこの傷が、そのまま心の傷を表しているとみることができます。

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だからこそ、いつきがおでこを隠そうともせずかけらを捕まえようとする動きが、幼少期に木から落ちた時の帽子を捕まえようとする動きと重なるのが、いい演出です。見ていて私は、天才的だなあ……とつぶやいていました。

かけらを捕まえた後、

みんなに迷惑かけちゃった

とこぼすいつきに対し、すばるは言います。

迷惑なんかじゃない、ううん、迷惑だっていいよ!

あおい、ひかる、ななこも、

私たちにだったらいくら迷惑かけたっていいよ

太っ腹

まあ、お互い様でしょ

 と次々に口にします。「他者による承認」です。

そして、すばるは

傷、言われなかったら全然わからないね

と声をかけ、いつきは

私、気にしすぎてたのかな

と応じました。トラウマが解消した瞬間です。

他者による承認」を受けて「想いを言葉に」できるようになったいつきは、「劇で王子様役をやりたい」という希望を口にし、叶えることができました。願いを口にすることが許されず、「消えてしまいたい」と姫が口にする、という劇のエピソードがハッピーエンドへと改変されたことと見事に同期しており、味わい深い場面になったものです。

どうか、この手を取っていただけますか。それが私の願いです。

あなたが心から望むなら、それは私の願いでもあるでしょう。

 劇を終えたいつきは、観客の中に、例の事故で悲しませた兄の笑顔を発見します。見ていて私は、不覚にも涙を抑えられなくなってしまいました。なんていいシーンなのでしょうか……。

 

さて、これを受けた次の6話はななこ回かと思いきや、すばるとみなとの変化にスポットが当たる回です。

温室でせき込むみなとから、みなとを置いて温室を出るように言われ、「こんなの私、決められないよ」とすばるは言います。これを受けてみなとから「お守り」として、温室に植わっている、つぼみのままの花を手渡され、温室を出ることを決断します。

すばるが3話で

決められないだけです

と言っていたことを思えば、大きな変化です。「想いを言葉に」することを知って、すばるは変わったのです。

みなととともにあり、咲くことのなかった温室の花が咲きます。「この花は咲いてはいけないんだ」と語っていたことを考えれば、これもまた大きな変化です。「僕も変われるかな」とつぶやくみなと。すばるの変化が描かれるとともに、止まっていたみなとの時が動き始める、シリーズ後半への導入にもなっている回です。

 

さて、シリーズ後半の7話は、すばるの変化をあおいが感じ取るシーンから始まります。

 

「変わりたい」を実現したすばるとあおい

6話では、すばるがあおいをかばうシーンがありました。2話で「すばるは私が守る」とあおいが言っていたことを踏まえると、二人の関係性が逆転しています。そして7話では、あおいがこの6話のシーンを回想し、複雑な表情を浮かべます。

なぜ、あおいはこのような表情を浮かべるのでしょうか。

それには、過去にすばるとあおいの間で起こった出来事が関係しており、すばるが変化することを良く思っていないからです。詳しいことは、後で明らかにされます。

 

元気がない様子のすばるにあおいはいちご牛乳を渡し、

これ飲んで元気出せ

と話しかけます。何気ないシーンですが、2話で「やっぱりお前は私の知ってるすばる」であることの象徴だったいちご牛乳を渡している点が重要です。あおいは、すばるの変化に不安になり、すばるが自分の知っているすばるであることを、意識的にせよ無意識的にせよ再確認するために、いちご牛乳を渡したとみることができます。

さらにあおいは、

すばるがわーわー騒いでないと、こっちが調子狂うんだよな

と話し、

すばるのことだから、また何かなくしものでもしたんだろ。一緒に探すからさ。一人で抱え込むなよ。

と言いながら、すばるの頭に手を置きます。すばるの頭に手を置くのは、2話で「すばるは私が守る」と言いながらしている動作でもあり、これも、自分が知っているままのすばるでいてほしいという意思表示でしょう。

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すばるはみなとのことをあおいに話しますが、みなとのことをすばるが大事に思っているのを感じ取ったあおいは、

なんで黙ってたんだよ。言ってくれたらよかったのに

と表情を曇らせ、すばるを置いて去ってしまいます。

変わりたいって思ったんだ。だからここにいるはずなのに。結局同じことを繰り返してる。どうして私は……

 

さて、この場面の後は、かけらを捕まえる場面になります。すばるがあおいの手を握ってあおいを助けようとしますが、あおいはその手を払いのけてしまいます。「あおいがすばるを助ける」という関係が、「すばるがあおいを助ける」という関係へと変化することを拒否したのです。2話で「今度またあいつが来ても、すばるは私が守る」とあおいが言っていたことが思い出されます。

自分でもわかってる。このままじゃダメだって。変わりたいって思ってるのに……

ここにおいて、過去に合った出来事が明かされ、あおいがなぜこのような態度をとっていたのかがわかります。「あおいに黙ったまま、すばるが違う中学校に行ってしまった」という経験を、あおいは持っていたのです。あおいが知らない間に、すばるが自分の知っているすばるではなくなってしまい、その結果として、自分が置いて行かれてしまった(とあおいは思っている)。だからこそ、この運命線でも、あおいはすばるが変化することを拒否していたのです。

しかし、すばるの変化を拒否するだけでは、結局過去の自分と同じであり、それを受けての「結局同じことを繰り返してる」「このままじゃダメだって」なのでしょう。

 

葛藤するすばるとあおい。二人を救ったのは、ほかの3人の呼びかけでした。

ひかる「ここまで来て迷うことなんてあるのか!」

いつき「二人なら、わかってるはずだわ!」

ななこ「寄り添う気持ちで運気上昇」

ななこの謎の一言はさておき、「他者による承認」です。

これを受けて二人は再び飛びます。角マントの攻撃を受けますが、今度はあおいがすばるの手を取って、すばるを助けます。

いつでも、どこにいても、すばるがどんなに変わっても、変わらない大切なものは、ちゃんとここにある。

いつだってあおいちゃんは、私を助けてくれる。だから私も変わらなきゃ。いつかあおいちゃんを守れるくらいに。

 

私たちは、変わっていける。

 

すばるに助けられてばかりじゃいられないからな

私だって。あ、でもあおいちゃんと一緒にいるのは、ずっと好きだよ。

これを聞いて、あおいがすばるの頭をなでようとしてやめるの、尊すぎません??

「あおいがすばるを助ける」という関係性が変化してしまうことを拒否していたあおいが、すばるの変化を認めることができたのです。あおいも「変わる」ことができたのです。こんなシーンがあるでしょうか???あれ?目から汗が……

あおいは言います。

わかってる。どこにいてもどんなに変わっても、すばるはすばるだし、私は私だ!

これを見て、ななこは「二人とも変わった」と言います。2話では「やっぱりお前は私の知ってるすばるだ」だったのが、ここでは「自分の知らない変わったすばるでも、すばるはすばるだ」に変化していることに注目すべきです。「私は私」であるがゆえに、「変わりたい」という想いを肯定し、実現することができたのです。

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この後、別の運命線のお互いからもらったキーホルダーを見せ合い、すばるとあおいは言います。

あおい「私たち、置いて行かれたわけじゃないんだ。」

すばる「そうだよ。私たち二人とも、大切な友達から宝物をもらったんだよ」

他者による承認」です。

 

「変わりたい」という願いを実現したすばるは、みなとに対して「想いを言葉に」します。この直前、あおいからもらったキーホルダーを触るのが、尊すぎます。

その恰好、やっぱりちょっと変です。あと、これ。好きだよね。

すばるはこう言って、いちご牛乳を差し出します(もちろん、「みなとはみなとだ」という意思表示です)。

みなと「君って、人違いだとか勘違いとか考えないわけ?僕は君の知らない僕に変わったかもしれない。ほとんど別人みたいにさ」

すばる「うん、そうかもしれない。でも私、友達に教えてもらったの。だから、みなと君はみなと君だよ

みなと「……君はそうやってまた、どこからか扉の鍵を見つけてくるんだね」

すばる「また会えたね、みなとくん!」

ここで花が映るのが、……「つぼみのまま、咲いてはいけない」とされていた、みなとがすばるに渡した花が咲いている、その様子が映るのが、すばるが変わったことを象徴しているわけです。……はあ~~~。天才かよ。

 

思い出は消えない

さて、4話がひかる回、5話がいつき回と来て、ななこ回は?と思ったところで、6,7話は、すばるとあおいの変化を描きました。なぜ、ななこ回は後回しになったのでしょうか。

おそらく、「思い出は消えない」という、新しい要素を描きたかったからではないでしょうか。「私は私」がキーワードであるということは、今まで見てきたとおりですが、それを支える要素として、この「思い出は消えない」ということが挙げられます。

過去の思い出が積み重なって、「私」を形作るということですね。

 

8話がななこ回です。太陽系最外縁部のかけらを捕まえるために、一人旅立つななこ。旅立った直後、

結局は、だれだってみんなひとりだから

とつぶやきます。

なぜこのようなつぶやきをしたのかは、ななこの回想によって明かされます。

両親が離婚するときに、父のもとに残ったななこは、母についって行った弟と離れ離れになります。「お姉ちゃんも後から来る」という、両親の弟に対する嘘を、ななこも否定しませんでした。

大人は、嘘をつく。

私もあれが、嘘だってわかってた。約束が果たされる日は、来ない。

 

結局は、誰だってみんな一人だ。誰かをどんなに愛しても、いつかは一人に戻るんだ。

 これがななこの「何者でもない」です。

 かけらを発見したななこはほかの4人を呼ぼうとしますが、心から呼んでいなかったため届きません。

やっぱり私は一人が似合ってる

と、4人を呼ぶことを諦めたななこでしたが、惑星の誕生を見て、

皆も一緒だったら、楽しいのかな

想いを言葉にし、4人を呼ぶことに成功します。

弟に「思いを伝える」という実現しなかった可能性に心を砕きつつも、「誰だってみんな一人だ」と思いふたをし、弟に手紙を書いてこなかったななこ。しかし、プレアデス星人の姿は、弟の手紙に書かれた絵がもとになったものだったということが、ここにきて明かされます。ななこは弟と離れて一人になったわけではなく、ななこの記憶の中に弟は生き続けていたのです。ななこはプレアデス星人を抱きしめて呟きます。

一人になっても、みんなで一緒だった記憶は消えないんだ。思い出は、なくならない。

これに対し4人は、ななことの再会を喜ぶ声を掛け合います。他者による承認です。

かけらを確定させたななこは、強い思いにより、他の4人と別れる前の時間に戻ります。13歳の誕生日を迎えたななこは、プレゼントの万年筆とレターセットを使って、弟への手紙を書き始めます。蓋をしていた想いに向き合い、想いを言葉にすることで、ななこも「変わりたい」という想いを成し遂げることができました。

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観ていて涙が……毎回神回じゃないか、なんだこのアニメ……

 

呪い

さて、9話と10話は、みなとにスポットが当たります。ここまで「変わりたい」という「祈り」が描かれてきましたが、この「祈り」と対の関係にあるのが「呪い」です。

10話では、幼いみなとは実現することのなかった「可能性の結晶」に心を砕いていたことが描かれます。すばるたち5人と同じく、「何者でもない」ということですね。

しかし、みなとはすばるたちとは違い、「変わりたい」という想いを言葉にすることはなく、こう言い放ちます。

僕はこれ(エンジンのかけら)を使って違う世界を探す。

この世界が僕を受け入れないなら、僕の方から捨てるんだ。僕と同じように、ここではろくな可能性を与えられなかった存在(可能性の結晶)。みんなを連れていく。この世界もすっきりするだろう。

僕は、消える

これこそが、「変わりたい」という「祈り」と対極にある、自己否定という呪いです。このような思いをみなとが描いたきっかけは回想で描かれます。重い病気で寝たきりという自分に絶望したみなとは、

この世界に可能性がないなら、過去から可能性を選びなおせばいいんだ

と吐き捨てるように言います。

これまですばるたち5人は、実現しなかった可能性に心を砕きつつも、「私は私」であることを受け入れ、未来を志向する「変わりたい」という願いを抱いてきました。これに対しみなとのこの思想は、過去向きの自己否定という呪いなのです。

君だって僕と同じ、自分を呪ってる。心のどこかで君は、このままかけら集めが終わらなければいいと、本当はそう願っているんじゃないのか。それが、君自身への呪いだ。

これを聞いたすばるは、

私、何も変われてない

と涙します。これを受けて11話では、すばるが魔法使いに変身できなくなってしまいます。会長はこの事態を以下のように解説します。

可能性の確定していない者、何者でもない者たちだけが魔法を使えるんだ。魔法を使えなくなったのは、すばるが何者かになってしまったからかもしれない。一度選んだ道は後戻りできないし、失った可能性は二度と戻らない。

これはどういうことでしょうか。

解釈の難しいところですが、私は以下のように考えます。これまですばるが使う魔法を支えてきたのは、「変わりたい」という願いです。それはここまで書いてきたように、達成されました。しかし、「このままかけら集めが終わらなければいい」という意識は、「変わりたくない」という現状維持の思いであり、「変わりたい」という願いとは対極にあるものです。ですから、この思いを自覚することで呪いとして作用し、すばるは変身できなくなったのでしょう。

それを自覚しているからこそ、すばるは父に「すばるも変わってるんだなって」と言われて、

私、ちっとも変われていないの

と涙を流します。この後のシーンで、「私は私」であることの象徴だったいちご牛乳がなくなってしまっているのが象徴的です。

この流れを変えたのは、他者による承認です。

私だって信じてる。会長がどう言ったって、すばるは変われるって

この一言をきっかけに、すばるはもう一度変身する可能性に挑み、それを実現しました。いちご牛乳も復活したのがやはり象徴的ですね。

 

一方で、すばるを置いてかけらを探しに行った4人ですが、かけらを見つけることができません。その原因を、

君たちが、心の奥底では、この宇宙に居続けたいと願っているともいえるかな

と会長は分析します。前述した呪いです。しかし、これを聞いても、4人は次々に「変わりたい」という祈りを口にします。

あおい「私は行くよ。地球を発つとき決めたんだ。かけらを手に入れて、必ず帰るって。 すばるが、信じて待ってくれてるから」

ななこ「私も行く。もう決めたことだから」

ひかる「この宇宙のおかげなんかじゃない。全部私たちが、自分の意志と自分の力でやったことだよ」

いつき「それに、今諦めたら、私たち変われないもの」

あおい「私たち、確かにずっとこのまま魔法使いでいられたら、って思ったこともあるよ。だけど私たち、変わりたいから魔法使いになったんだ。このままじゃ終われないよ」

 もう一度変身したすばるも合流し、同じ気持ちを口にします。

私、変わりたい

これを聞いた4人から他者による承認を受けて、すばるは

私、絶対あきらめないから!と決意します。

 

「私になる」ということ

最終話、すばるはブラックホールに落ちてこの宇宙から消えようとするみなとを連れ戻します。

「私はただ、今こうして触れているみなと君の温かさに、消えてほしくないだけなの。みなと君の中にある、優しさも、寂しさも、なかったことになんてしたくないの。宇宙を何度やり直しても、私のであったみなと君は、たった一人だよ」

ここにおいてみなとは、初めて他者による承認を受けたのです。

みなと「見ただろう。現実の僕は、君と言葉を交わすことさえできないかもしれない」

すばる「だけど、私たちは出会えたんだよ。出会っちゃったんだから、忘れたりしたくない、なかったことになんてできない」

思い出は消えないということですね。

すばる「みなと君の、本当の気持ちを教えてよ!」

みなと「何が欲しいとか、誰かといたいなんて、きちんと言葉にしたことないんだ」

すばる「だったら私が言う。私はみなと君と一緒にいたい。私がみなと君を幸せにする!」

 自分を呪ったみなとには想いを言葉にできなくても、「変わりたい」という願いを持つすばるにはそれができるのです。これによって、みなとの意思を変えることができました。

かけらを集めきった後、5人はみなとと共に原初の惑星に戻ります。

「ここからなら、どんな生き方を選びなおすことだってできるんだ。何になってもいい、どこからやり直してもいい。さあ、君たちは何を選ぶ?」

尋ねるみなとに、5人は手をつないで、答えを出します。

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いつき「私は」

ひかる「私は」

ななこ「私は」

すばる、あおい「私は」

すばる「無限の可能性なんて、壮大すぎてわからない」

いつき「想像できるのは、自分とそんなに変わらない女の子」

あおい「何の変哲もない、ありふれた女の子」

ななこ「ひかるみたいに、頭がよかったらいいな、とか」

ひかる「いつきみたいに、きれいな髪だったらいいな、とか」

いつき「ななこちゃんみたいに、マイペースでいられたらいいな、とか」

すばる「あおいちゃんみたいに、しっかりしたいとか」

あおい「すばるみたいに、まっすぐ素直でいられたら、って思うけど」

すばる「みんなをうらやましく思うのはきっと、困ったとき、落ち込んだとき、たくさん助けてもらったから」

いつき「完璧な誰かになりたいってことじゃなくて」

ひかる「みんながみんなだったから」

ななこ「私が、私だったから」

あおい「一緒にいられたあの時間」

すばる「だったら、私は私がいい。そしてそのときそばにいる人の、きれいなところ、いいところを、たくさん見つけてあげたい」

5人「私は、私になる」

「みんなみたいになりたい」と言っていたすばるをはじめ、自分に自信が持てず、「変わりたい」と願っていた少女たち。が、「私になる」という決断をした瞬間でした。見ていて涙を抑えられません。これほど美しいシーンがあるでしょうか。

ここにおいて、コペルニクス的転回が起こります。他者による承認を受けることで変わることを成し遂げるのではなく、他者を承認するために変わるということです。

他者による承認を受けた分、今度は他者を承認したいということですがが、そのためには、「私」は「私になる」必要があります。私は私であるから、他者に承認され、他者を承認できるのです。そして、「私になる」ということは、「私は私のまま変わらなくていい」という安易な現状維持ではありません。変わっても私は私であり、変わるからこそ「私のままである」ではなく、「私になる」ことができるのです。そして、変わったことの記憶はなくても大丈夫なのです。なぜなら、思い出は消えないからです。

すばる「こういうときって、なんて言ったらいいのかな」

いつき「きっと大丈夫。私に戻っても、みんなと出会って変われた私なんだもの」

ひかる「私も信じてるよ。自分とみんなを」

ななこ「ダンケ。グラッツェ。メルシー。謝謝。ありがとう。」

すばる「みんな、大好き!」

いつき「私も」

あおい「泣くなよすばる」

すばる「私たち変われたかな?」

ななこ「absolutely」

ひかる「どういう意味?」

ななこ「きっと。絶対。」

5人「うん!」

5人は変わりたいという祈りがかなったことを確認し合います。確かに変われたのです。だからこそ私になるのです。ああ、なんて美しいのだ……。見ていて涙が止まりませんでした。心の中では、このアニメに対する感謝の念が尽きませんでした。ありがとう、ありがとう……。

こうして5人は別れ、元の運命線に戻りました。すばるは、みなとと一緒に行くことを選びながら。

元の運命線に戻ったすばるは、この運命線のあおいに話しかけることができました。1話を見ればわかりますが、別の運命線であおいたち4人に出会う前はできていなかったことです。これはもちろん、すばるが変われたからこそ、できたことなのです。

宇宙の果てまで飛び、ブラックホールをひっくり返した末に得たものが、「話しかけることのできなかった友人と、話すことができるようになった」という変化。これが、このアニメを私が好きすぎるゆえんです。小さすぎる変化でしょうか。そんなことはありません。「変わりたい」という祈りを成し遂げること。一人の人間にとって、これほど大きなことはありません。

もともと流星雨を見るときに独りぼっちだったうえに、雨に降られてしまっていたすばるのもとに、今度は元の運命線のひかるやいつき、ななこも集まり、流星雨をみんなで見ている場面で、物語は幕を閉じます。

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変わることができた少女たちは、きっとこれからも変わり続けて、私になっていくことでしょう。そして、今度はこの物語に触れた私たちが変わって、私になる番です。これからの人生で困ったとき、落ち込んだとき、このアニメがきっと私を助けてくれるでしょう。このアニメのことが大好きです。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

夜空に浮かぶ星たちは、独りぼっちの寂しさと、巡り会う喜びを繰り返して、長い時の中をすれ違っていきます。今日の予報は流星雨。星空を見上げていると、今はまだ出会えていない、どこかの誰かのことを、ふと思ってしまいます。その誰かも、同じようにこの星空を見上げていて、星たちは空から、そんな私たちの姿を、見守っていてくれるはずです。

待っててね!

 

*1:余談ですが、ここでの「友達」とは、あおいのことを想定して言っているのでしょうね。このあと、すばるのことを「足も遅いし動作もとろいし」とあおいが言っています。

*2:余談ですが、「放課後のプレアデス」の英語のタイトルがWISH UPON THE PLEIADESなのが素晴らしいですね。「変わりたい」という思いは、まさに"WISH"と表現するのがよいです

*3:このセリフは、もう一人のみなとが角マントの姿をとっているのと対応しているのが面白いですね

*4:さらに、ブルーレイボックス付属の特典小説を読むと、この髪型はあおいが作ったという過去が語られています。尊い……

*5:ブルーレイボックスに付属の特典小説「夢々のカケラ」では、「星」について、「人によってさまざまだけど、例えばそれは流れなかった涙だ。出されなかった手紙だ。普通は忘れられてしまう物なのに、君たちはいつまでもそれを大事に胸の内にしまいこんでいる。君たちはちょっと優しすぎるのさ。何者にもなれなかったものに心を砕いて自分を重ねてしまう」と、みなとの口によって語られています。

*6:「『自己』とは、内省によってみいだされる主観的自己であるよりは、社会集団のなかで自覚され、評価される社会的自己のことである。個人は共同体の固有の価値観に事故を同一化し、その中で様々な社会的役割を積極的に引き受けることによって自己を確立する」日本大百科全書より

【考察】アイデンティティの確立、自己肯定の物語としての「Re:ステージ!」~リステDDを5677970倍楽しむ~

昨年夏に放送されたTVアニメ「Re:ステージ!ドリームデイズ♪」。放送終了から半年以上たちましたが、いまだに私の心をつかんで離しません。ブルーレイを全巻購入し、3rdライブにも行きましたし、ライブブルーレイも購入して見ています。このアニメを見ると、いまだに目から流れ出る梅昆布茶を抑えられません。 なぜ、このアニメはこんなにも素晴らしいのでしょうか。というわけで、「Re:ステージ!ドリームデイズ♪」という作品の良さを、徹底的に掘り下げてみたいと思います。

 

始めに断っておきたいのは、アニメの見方に「正解」はないということです。アニメの見方は人それぞれであり、私が本稿で述べるのも、「私の見方」であって、「正しい見方」ではありません。むしろ見方が人それぞれ違うからこそ、語り合うのが楽しいのです。リメンバーズ諸氏、ぜひ語り合いましょう!このご時世、各ユニットのワンマンライブも中止になったことですし、リメンバーズ諸氏も、この機会にまたアニメを一気見してみるのもいかがでしょうか。

あと、クソ長いです。オタク特有の長い語りの結果、1万7千字とかいうふざけた字数になりました。リステに対する時間と熱意のある方だけお読みください。まあ、それだけ字数を費やしてもまだ語りつくせないのがこの作品の魅力なのですが……。

 

さて、本題に入ります。この作品の魅力を一言で言ってしまうと、「『一緒に』『夢を伝え、広げる』というアイデンティティ*1の確立、そして自己肯定の物語」ということです。どういうことか、詳しく見ていきましょう 。

 

※本稿は「Re:ステージ!ドリームデイズ♪」を視聴していることが前提のものです。まだ見ていないキミ(このページを開いた人の中にそんな人いるのか?)、今すぐdアニメストアに入って全話視聴するのです。初めの1か月は無料ですぞ。

 

目次

 

「一緒に」「夢を伝え、広げる」を体現した1話~5話

アニメ「Re:ステージ!ドリームデイズ♪」の本編12話を大きく2つに分けると、1~5話と、6~12話になると思います。

前半の1~5話で注目すべきなのは、他者に「夢を伝え、広げ」るという手段によって、KiRaReの6人が「一緒に」なり、一度諦めていた夢をもう一度追いかけることを決意する点です。

 

一緒に」が1~5話のキーワードであることは、衆目の一致するところです。すべては、1話で舞菜が紗由の「ミライKeyノート」を目にし、一緒に歌って踊るところから始まります。人前で歌って踊ることにトラウマがあり、避けていた舞菜が、紗由の歌と踊りを見て、思わず一緒に踊り出します。

一緒だと、自然に体が動く!声も……

このモノローグの後に、「閉じ込めたままの想いが歌い出す」という歌詞とともに、本当に舞菜が紗由に合わせて歌い出す演出が素晴らしいです。そして、舞菜と紗由のモノローグが重なります。

 

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楽しい

しかし、どうしてもアイドルに対してトラウマがある舞菜は部室を飛び出します。そんな舞菜を追いかけ、紗由は言います。

私と一緒に、アイドルを目指そう!

トラウマのある舞菜はこの誘いを断り、バスに乗って行ってしまいます。しかし、そんな行動とは裏腹に、舞菜と紗由、二人の胸の高鳴りが重なります。なんて美しいシーンなんだ……。

このように、1話だけを見ても、「一緒に」というキーワードが繰り返されます。そして、Cパートの、

もう一度、

あなたと一緒に

という舞菜と紗由のセリフで1話は幕を閉じます。Re:ステージ!ドリームデイズ♪というアニメを象徴するシーンで、第1話の幕切れとしてはこれしかないというシーンです。

 さらに2話で、ステージに上ることを躊躇する舞菜の手を引き、紗由はいいます。

舞菜と一緒にやりたいの、このステージの上で

絶対だよ、プリズムステージまで、ずっと一緒に

舞菜と紗由が「一緒に」アイドルを目指すことを決定づけるシーンです。

 

他のKiRaReメンバーが集まるのが2~4話までですが、それぞれ「一緒に」という言葉を口にします。

かえは、これからも二人のことを見ていたい。そして、もしできれば、かえも、一緒に 

と語ったかえ。

君たちが一緒に歌ってくれるなら、いいかもしれない。見つけてくれたのが、君たちでよかった

と、目に涙を浮かべてこぼした香澄。

私には仲間なんて必要ない。一人でもやるんだ。絶対にアイドルになるんだ。そう思って活動を続けてきた

と語っていたのに、

頑張らへん?もう一回夢追いかけようや。今度は一緒に

実ちゃんと、一緒にやりたいんや

という瑞葉の呼びかけに泣き崩れ、入部を決意したみい。

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ここの演出、視聴者を全力で泣かせにきていやがる……。

余談ですが、この辺りは毎回、夢を諦めていたKiRaReの面々が入部を決意する→EDの憧れFuture Sign、という流れが完璧すぎません?

 

閑話休題。ここまで、1~5話では「一緒に」がキーワードであることを見てきましたが、それだけではありません。1~5話で特筆すべきは、舞菜と紗由の「ミライKeyノート」を見たことをきっかけに、舞菜と紗由の夢が広がり、他のメンバーが諦めていたアイドルという夢をもう一度目指すことを決意した点です。

 

3話のシーン。

かえ「かえはこの前、舞菜と紗由の歌を聴いて、勇気をもらった。かえにも夢を見ることができるんだって。あなたは?あなたはどうだった?来てたでしょ?二人のライブに」 

香澄「うん。夢に向かって真っすぐで、キラキラしていて、あの頃の自分を思い出して、目が離せなかった」 

舞菜「うれしいです。私たちの夢が伝わったんですね!」

 

4話では、みいが、

あなたたちのライブを目指すまっすぐな気持ちがわかったわ。いい加減な気持ちじゃないんだって伝わってきた

と語ります。 

一緒になることで夢を目指すことになった舞菜と紗由のが、他のメンバーへ伝播していったのが前半部であると言えるでしょう。

 

このような前半の総まとめとなるのが5話。キラメキFutureをバックに前半のハイライト映像が流れるの尊すぎん?

そして、

みいは今までずっと一人でアイドルとして輝こうとしていた。その道はあまりにも遠く厳しかったみぃ。でも6人なら、みいたち6人でならキラキラ輝けるんだって今は思ってるみぃ

と語るみいによって、KiRaReというグループ名が決められます。一人では諦めていた夢を、6人「一緒に」なら目指すことができるという、前半のテーマを象徴するシーンです。

KiRaRe、輝け!私たちの夢!

 

オルタンシア的価値観とステラマリス的価値観

一緒に」なることで、夢をもう一度追いかけることを決意した前半部を受けた後半部。ここでまずポイントになるのは、オルタンシアとステラマリスという2つのユニットとのかかわりをKiRaReが経験することです。

 

オルタンシアの思想を色濃く表現しているのが、彼女たちが初登場する6話です。

陽花「私は一つ年上だから先に入ってたんだけど、なんか紫ちゃん以外と一緒にやる気が起きなくて」

「プリズムステージに出場するのも、たくさんの人の前で紫ちゃんと歌って踊れるから。みんなの前で、思いっきり楽しみたいなって」

紫「うん。勝ち負けも大事だけど、あたしも陽花とずっとずっと一緒に楽しみたい。それが、あたしたちのだね」

紫と陽花がこう語った後に、ライブシーンで披露される楽曲が「Purple Rays」なのも象徴的ですね。

Purple Rays もっともっと

キミがいなきゃ楽しめないよ ステージはここから All Right!

ここで、「ずっと一緒に」「楽しむ」「」というようなセリフが、前述した1、2話の舞菜や紗由のセリフと符合していることは、注目に値します(1話でミライKeyノートを歌って踊るとき、楽しいというモノローグがありましたね)。このような、勝ち負けだけではなく、「一緒に」「楽しむ」ことや「」を重視する価値観を、ここでは「オルタンシア的価値観」と呼ぶことにします。

オルタンシア的価値観は8話でも描かれます。プリズムステージ予選でライブを終えて、二人は、
陽花「本当に楽しかった
紫「うん、ホントに楽しかった。陽花と一緒で
陽花「私も。紫ちゃんと一緒でよかった
と語り合います。
 

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これに対し、ステラマリスの珊瑚は、
幼稚園のお遊戯だったじゃない。珊瑚と碧音お姉さまの敵じゃないわ
と吐き捨てます。瑠夏も、

何より、本人たちが楽しんでパフォーマンスをしてるのがよかった。そういうのは、経験を積んでいくと忘れがちになるからな

と評します。

アイドル部のレベルが高い本校の厳しい競争を勝ち抜いて、全国の頂点に立ったステラマリスには、「一緒に」「楽しむ」などという価値観は、「お遊戯」であり、「忘れがち」なものなのです。彼女たちは「勝ち抜く」「卓越する」といったことに価値を置いているからです。

10話で本校に潜入した紗由が、アイドル部の練習を見て、

ピリピリしてるわね。アイドルを目指す空気感じゃないわ

と言っているのが象徴的です。

このように、「一緒に」「楽しむ」ことよりも、「勝ち抜く」「卓越する」ことを重視する価値観を、「ステラマリス的価値観」と呼ぶことにします。

幼少期からずっと一緒にアイドルになることを目指してきたオルタンシアの2人には、「ずっと一緒」という言葉がぴったりです。一方で、ステラマリスの3人が「ずっと一緒」であるとは考えられません。

珊瑚にとって最愛の人は、ステラマリスのリーダーで、舞菜の姉である式宮碧音ですが、碧音にとっては、最愛の人は舞菜ただ一人です。8話では碧音が溺愛する舞菜に対して珊瑚が嫉妬し、

待ってなさい式宮舞菜。碧音お姉さまの一番大事な人は、この珊瑚なんだって、わからせてやるんだから

と、マウントを取りに行きます。瑠夏も、

もしかして、私や珊瑚には関心がないのかな

と碧音に対して発言します。

ずっと一緒の親戚であるオルタンシアや、親友同士であるKiRaReとは違う、独特の関係を持つユニット、それがステラマリスなのです。*2

 

さて、オルタンシア的価値観ステラマリス的価値観という、この2つの相反する価値観は、KiRaReとどのように関係してくるのでしょうか。

もちろん、KiRaReがステラマリス的価値観ではなく、オルタンシア的価値観を持っているのは言うまでもないことです。「一緒に」「楽しむ」というセリフを舞菜や紗由が口にしていることは先に述べた通りです。また、オルタンシアのパフォーマンスを見て、舞菜は

すごくよかったです。感動です

と声をかけており、瑠夏も

どこかKiRaReのパフォーマンスとも似ていたよ

と言っています(8話)。

しかし、それ以上に注目すべきなのは、物語を構成するうえで、このオルタンシア的価値観との触れ合いがKiRaReにもたらす影響の大きさです。

このオルタンシア的価値観は、KiRaReがステラマリス的価値観の方向に傾きそうになった時、彼女たちをオルタンシア的価値観の方に引き戻す役割を果たしているのです。しかも一度だけではなく、二度もです。

 

一度目は、オルタンシアが初登場した6話です。

6話では、プリズムステージの予選における勝ち負けを気にしすぎるあまり、厳しすぎる練習をみいがKiRaReのメンバーに課すようになります。これを受けて、紗由は

踊っても楽しくないっていうか……

とぼやくまでになります。「一緒に」「楽しむ」というKiRaReの価値観が、勝ち負けというステラマリス的価値観に染まりそうになったシーンです。
そこに瑞葉の策略によって現れることになったのがオルタンシアです。

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「一緒に」「楽しむ」ことを最も重視するオルタンシアの姿勢に触れ、彼女たちを評す舞菜、紗由、みい。

やっぱり一番は、楽しむことが夢だからじゃないかな

と舞菜が締めくくります。

勝つことにこだわり、厳しい練習をメンバーに課していたみいは、

あの二人が楽しんでパフォーマンスしてるのが、なんかこっちにも伝わってきて、見てる時も、一緒にやってる時も、本当に楽しかったんだみぃ

 と感想を漏らし、勝つことばかり考えていたことへの反省を口にします。ここで非常に重要なのは、「一緒に」「楽しむ」という考え方をみいが取り戻したことだけではなく、それが「一緒に楽しむというオルタンシアの夢が伝わり、広がった」という手段によって達成されていることです。これは、先に述べた1~5話のキーワード「一緒に」「夢を伝え、広げる」と合致します。ステラマリス的価値観に傾いていたKiRaReが、オルタンシア的価値観に触れることでKiRaReらしさを取り戻すことを丁寧に描いた、よくできた回であったと言えるでしょう。

 

二度目は11話ですが、これはKiRaReのアイデンティティと関係してくる部分なので、先にそれについて述べておきます。

 

KiRaReのアイデンティティ

後半のポイント2つ目は、オルタンシア的価値観に触れ、ライブを経験したKiRaReが変化し、自らが歌って踊る意味を自覚し、アイデンティティを確立していくことです。

 

ポイントになるのが、ステラマリスが本格的に登場する、神回の呼び声高い7話です。

あなたたちが勝ち上がってくるのを楽しみにしているわ。そして、決勝の舞台で、一緒に戦おうね

碧音の存在を感じたことによって甦りかけていた舞菜のトラウマが、この碧音の言葉によって、決定的に再発します。これは、かつてトラウマの原因となったステラマリス的価値観を感じたことに原因があります。

そもそも、舞菜のトラウマとは、「自分が歌って踊ることで、誰かを傷つけたり、怒らせたりしたこと」にあります。

一方、プリズムステージの予選で「勝ち上が」ることは、ステラマリス的価値観に照らせば、至上命題です。同時に、「勝ち上が」れない存在を生むことであり、他者を傷つけることを意味します。

舞菜は意識的にせよ無意識的にせよ、決勝の舞台で一緒に戦おうという碧音の言葉によってそのことを実感し、逃げ出したくなったのでしょう。

勝つことに至上の価値を置くステラマリス的価値観においては、嫉妬や憎悪はつきものです。ステラマリスやトロワアンジュといった、本校を代表するアイドルになるには、そういったものに耐えるのも当然なのでしょう。しかし、心優しい舞菜には耐えられなかったのです。舞菜も、

私が弱いのがダメなんです

と自己分析し、

私、自分の歌やダンスが誰かを怒らせたり、傷つけたりすることがあるなんて、思ったこともなかった

と紗由に語ります。まるで、過去の苦痛をもう一度噛み締めるように、涙を流しながら。

これに対する紗由の言葉が非常に重要です。

 

(余談ですが、

絶対だよ、プリズムステージまで、ずっと一緒に!

という約束を紗由が思い出したことで、逃げだした舞菜の居場所を見つけるのが、……心重なる瞬間、熱い!)

 

夢を見るのは私たちだけじゃない、応援に来る人たちも、夢を見るの。怖いこともあると思う。でも、ステージにはみんなの夢がたくさん詰まってる。舞菜は部に入るときに、私に言ったよね。紗由さんと一緒に夢が見たいって。あれ、本当は逆なんだよ。みんな、舞菜に夢をもらったんだ。

私たちは心の奥でアイドルを夢見ながら、たぶんどこかで、その可能性を諦めかけてた。そんな私たちを、夢に向かってもう一度挑む気にさせてくれたのは、舞菜なんだ

うん、信じて。舞菜がつらいとき、私、ずっとそばにいる。ぎゅっと手を握ってる。だから、一緒に行こう。私は舞菜と、一緒に夢が見たい

 

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ここにこそ、オルタンシア的価値観に触れることで確立した、KiRaReのアイデンティティが表れています。ポイントは2つあります。1つ目は、前半のポイント「一緒に」を繰り返している点。2つ目は、私たち=KiRaReだけにせず、見に来る人も含めた「みんなの夢」が詰まっているとしている点です。これは、先に述べた「夢を伝え、広げる」という点とも符合します。舞菜と紗由が「一緒に」ミライKeyノートを歌って踊ったことから他のメンバーに「伝播した夢」は、観客にも広がっていきます。「一緒に」「夢を広げる」こと、これこそがKiRaReのアイデンティティなのです。

このKiRaReのアイデンティティこそが、舞菜をトラウマから立ち直らせます。舞菜のトラウマは、「自らが歌って踊ることで、他者を怒らせたり、傷つけたりしたこと」です。このトラウマは「勝ち抜く」「卓越する」というステラマリス的価値観が原因で発生したものです。したがって、トラウマから立ち直るためには「歌って踊ることは他者を傷つけるのではない、夢を与えるのだ」という新しい価値観が必要でした。

先にも述べた通り、この価値観は6話までのKiRaReの姿と一致しています。6話までと違うのは、この思想を、歌って踊る意味として、舞菜がはっきり自覚した点にあります。アイデンティティは、自らが認識しているゆえに、アイデンティティたりえるのです。

アイデンティティを確かなものにした舞菜はステージに上がる直前、きっぱり言います。

私、もう逃げません。たくさんの人の夢が詰まってるこの会場で、みんなと一緒に、夢が見たいから

これに答え、

気づいてみたら、ウチら一人一人の夢が、6人の夢になったんやな

と瑞葉。

君たちと一緒ならどこまでも行くつもりだよ

と香澄。

まさに、「一緒に」「夢を広げる」というKiRaReのアイデンティティを確認しあうシーンといえるでしょう。

そしてそのことは、直後にライブシーンが披露されるキラメキFutureの歌詞が象徴しています。

みんなの夢 ギュッと集めて 青空に飛ばそう 風船みたいに

余談ですが、ここの歌詞のところ、かえの動きかわいすぎん?

ライブが終わると、そこに広がっていたのは、人々が傷ついたり、怒ったりした姿ではありませんでした。人々の笑顔、感動の涙、歓声……。「夢が伝播した」のです。舞菜は目を潤ませ、そして笑みを浮かべます。

 

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一度は逃げ出してしまったけれど、勇気を出して仲間と「一緒に」一歩踏み出したからこそ、迎えられた景色でした。視聴者としても、目からあふれ出る梅昆布茶を抑えられないシーンです。

KiRaReの夢は、風船が青空に飛んでいくように、人々に広がっていくのです。

 

 

果たされる「ずっと一緒」、果たされない「戻ってくるのよ」

さて、「一緒に」「楽しむ」ことで「夢を伝え、広げる」というKiRaReのアイデンティティがここに確立したわけですが、これにより、舞菜はトラウマを乗り越え、成長しました(9話の「お胸が発育したんちゃう?」は、この成長の象徴ととらえるのが妥当でしょう)。そして、KiRaReのメンバーと「ずっと一緒」であるという感覚を深めていきます。

それを如実に表しているのが、神回の呼び声高い9話です(毎回神回ですね)。

その中でも重要なのが、紗由が舞菜の家に泊まりにきた場面です。セリフのやりとりが長いところですが、重要なところなので引用します。

紗由「舞菜、私ね、高尾校に来たばかりのころは、ちょっとだけやる気をなくしてたんだ。一緒にアイドルを目指してくれる子が見つからなくてね。でもそんなときに舞菜が来てくれて、こうやって衣装を並べることができて、本当にうれしい」

舞菜「紗由さん、私もね、紗由さんと一緒ならどこまでも頑張れるんだよ。紗由さんと一緒に踊っていたら、私、毎日うまくなってる気がするの」

紗由「それは、私の方だよ、舞菜。舞菜が私を引っ張ってくれるんだよ」

舞菜「ううん、紗由さんが私を引っ張ってくれてるんだよ」

紗由「違うわよ、舞菜よ」

舞菜「紗由さんだよ」

紗由「舞菜だってば」

舞菜「紗由さんだよ」

カップルのような上記のやり取りですが、舞菜と紗由が「一緒に」なることで、夢を目指せるようになったことを再確認する意味合いがあり、重要です。さらに、ベッドで向かい合った状態の二人のやりとりが続きます。

 

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舞菜「私、紗由さんとずっとずっと一緒にいたい。離れたくない」

紗由「私もだよ、舞菜。でも、それってどれくらいまで?」

舞菜「え?ずっとはずっとだよ?」

紗由「プリズムステージが終わるまで?」

舞菜「ううん、もっともっと、ずーっとだよ。これくらい、ずっとだよ」

紗由「何それ、よくわかんないよ」

舞菜「いいよ、わかってくれるまで離れないもん」

ここで注目すべきなのは、2話で紗由が舞菜に言った

舞菜と一緒にやりたいの、このステージの上で
絶対だよ、プリズムステージまで、ずっと一緒に

というセリフに対し、舞菜が言う「ずっと一緒」は、「プリズムステージまで」という区切りが取り払われ、「もっともっと、ずーっと」になっていることです。

なぜでしょうか。2話と9話の時点で違うことは何でしょう。

それは、これまで書いてきたとおり、「オルタンシア的価値観」に触れて、KiRaReが「一緒に」「夢を広げる」というアイデンティティを確立したことです。

KiRaReはなぜ歌い踊るのでしょうか。プリズムステージで優勝するためでしょうか。いや、それは目標であって、目的ではありません。そうではなく、「夢を伝え、広げる」ためです。

プリズムステージで優勝することが目的であれば、舞菜と紗由が「ずっと一緒」なのは、「プリズムステージまで」です。しかし、KiRaReのアイデンティティに照らせば、目的は勝つことではなく、見る人に夢を広げることにあります。これには終わりがありません。だからこそ、「プリズムステージまで、ずっと一緒」が、「もっともっと、ずーっと一緒」になったのです。

 

さて、このシーンの後、9話では、紗由の両親の前でライブをすることになります。

今更私たちのステージを見ただけで、お母さんが考えを変えてくれると思わなくて

と弱気になる紗由に対して、香澄はこう言います。

あの時、ボクは君たちの心に負けたんだよ、紗由。君たちの熱い気持ちが、アイドルを諦めてたボクの心を溶かしてくれたんだ。だから、きっと伝わる。大丈夫。

舞菜や紗由が「夢を伝え、広げた」ということを再確認するセリフです。これに続いて、KiRaReの面々が次々と紗由に言葉をかけ、最後は舞菜が、

頑張ろう、紗由さん。きっと認めてもらえるから。昨日言ったよね、私たち、ずっと一緒だよって。紗由さんとこれからもずっと、一緒にやっていきたいって。だから、見せよう、私たちの夢を

私がついてる。

と言って手を握ります。これは、「ずっと一緒」であることを再確認するものであることは言うまでもありませんが、それだけではなく、7話で紗由が「舞菜がつらいとき、私ずっとそばにいる。ぎゅっと手を握ってる」と言っていたのと符合しています。見事な演出です。

おそらく紗由もそのことを悟ったのでしょう。

わかったわ、やるわ。舞菜と一緒ならきっと、お母さんにも。

と応じます。

そして迎えた「ステレオライフ」のライブ。紗由のモノローグが入ります。余談ですが、ここでステレオライフ!この曲がこのシーンのために作られたと聞いたときは感嘆の声を上げました。

見て、お母さん。私、前より、ずっとずっと頑張ってるんだよ。毎日楽しくて、輝いてるんだよ。舞菜と出会って、一緒に夢を見てるから。

舞菜が私を、支えてくれるの。舞菜が私を引き上げてくれるの。私を連れて行ってくれるの。前よりもっと、輝いている場所へ。

だから私、舞菜と一緒に、これからも夢を追い続けたい

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紗由のモノローグですが、特に着目したいのは、最後の一行です。前の四行は紗由が前夜舞菜に語った内容そのままですが、最後の一行は、舞菜が紗由に語った内容で、母との葛藤を抱える紗由は、前夜そこまで踏み込めていませんでした。舞菜が「ずっと一緒にいたい」と言ったことで、紗由の腹が決まったのです。

ライブが終わり、紗由の母は、

いいお友達ができたのね。あなたがこの子と一緒に、夢を追いかけたいって気持ちが、すごく伝わってきた

と紗由に告げます。またひとつ、「見る人に夢が広がった」ということでしょう。

このように、アイデンティティを確立したKiRaReは、「夢を広げる」という目的ゆえに、「ずっと一緒」であるのです。

 

ところで、舞菜がKiRaReと「ずっと一緒」であることを選ぶということは、同時に姉である碧音との決別を意味します。

碧音は、作中を通して、ずっと舞菜と一緒に歌って踊ることにこだわりを見せます。

あなたたちのおかげで、またまーちゃんがステージに戻ってきた。本当に、本当に感謝しているわ

でもやっぱり私うれしい。どんな形でも、まーちゃんと同じステージに立てるのが

7話に合ったこれらのセリフは、舞菜と同じステージに立てることを喜んだものです。また、8話では、

だっていずれ、まーちゃんは私のもとに、戻ってくるのよ。
そのためにも、ステラマリスは王者であり続けなければならないんだから

と語ります。 

このセリフを言うときに顔を写さない演出がいいですね。
興味深いのは、珊瑚も、碧音も、最愛の人と「一緒」になるために、実力をもってするほかないという発想を持っていることです(とにかく、碧音お姉さまの一番大事な人は珊瑚なんだから!ダメダメなあんたなんか、この珊瑚様が絶対倒してやるんだからあ!)。このあたりは、ステラマリス的価値観をよく表していると言っていいでしょう。

 

これに対し舞菜は8話で、

確かにお姉ちゃんたちはすごすぎます。でも、私同じなんです。お姉ちゃんと踊ってる時も、みんなと踊ってる時も、同じようにワクワクして、楽しくて。
けど、ただ一つだけ、お姉ちゃんと踊ってるときは思わなかったことがあるんです。
もっともっと、ここより先の景色を見てみたいって。理由は分からないけど、みんなと一緒なら、もっともっとどこまでも行けるんだって、そんな気持ちになったんです。
だから、お姉ちゃんたちにだって追いついて、超えていけます。

皆と出会えて、いろいろあって今の私になったと思うから

と語ります。これは、先に述べた「夢を広げる」という目的のためには「ずっと一緒」であるということが表れたセリフですが、同時に姉との決別を予告する言葉でもあります。「勝つ」「卓越する」ということが目的のステラマリス的価値観のもとに身を置く碧音とでは、プリズムステージで優勝すれば終わりであり、「ここより先の景色を見てみたい」という感情は湧いてこないのです。

余談ですが、このシーンの直後の特殊EDが宣誓センセーションなのもいいですね。このアニメは楽曲のチョイスが良すぎるんだよなあ……。

 

そして、8話のこのセリフで予告されていた姉との決別が具現化するのが、10話です。

本校に潜入する舞菜たち。ステラマリス的価値観を感じさせる本校へ潜入なのに、「みんなが一緒だから」大丈夫だと話すシーンがあるのがいいですね。

潜入した本校で、舞菜は碧音と再会します。ここで、碧音が

よく来てくれたわね

と声を掛けます。何気ない一言ですが、よく考えたら、舞菜はトラウマのある場所へ来ているわけで、本当に「よく来てくれた」と言えます。繰り返しますが、「みんなが一緒だから」来られたということですね。

まーちゃんはいつ、私のところに戻ってくるの?

と聞く碧音に対して、ややあって舞菜はこう答えます。

あの、お姉ちゃん。私これからもずっと高尾校にいるよ。

あのね、お姉ちゃん。私、小さいころからお姉ちゃんにあこがれて、ずっとその後ろを追いかけて、一緒にアイドルになるって夢見て、本校にも入学できた。でも、辛くなって、結局逃げちゃって。

もう夢なんて忘れてたはずなのに、高尾校でみんなに出会って、もう一度、夢を追いかけたいって思った。また逃げ出しちゃったときもあったけど、みんながいてくれたから、今度は頑張ることができた。ちゃんと、ステージに立つことができたの。

だから、私は、お姉ちゃんのところには戻らない。KiRaReのみんなと、これから先の景色を見たいの。

8話で舞菜が言っていた「ここより先の景色を見てみたい」を、碧音に向けて言った場面であると言えるでしょう。

この後、舞菜がKiRaReのメンバーのもとへ戻っていくシーンで終わるのが、この10話というエピソードを象徴していますね。

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明るい場面を描いているはずなのですが、同時に寂しさを感じさせるシーンでもあります。すき……

一方碧音は、

本当に、強くなっちゃったのね

と感慨深げにつぶやきつつも、瑠夏に対しては

なーんでもない

と、感情を見せない余裕がありました(ステラマリスはこのあたりの距離感が絶妙ですね)。舞菜との決別が、実感としてはまだ受け止められていないのでしょう。

あるいは、まだ舞菜が戻ってくる可能性を諦めていないのかもしれません。

11話では、

本当に楽しみ。最高のステラマリスを披露できる、その時が

と語っています。それに最終12話では、

見ててまーちゃん。これが、あなたがまだ見たことのない、最高の私よ

と心の中でつぶやき、Like the 俊,Like the龍Like the Sun, Like the Moonを披露した後、ステラマリスコールの中で、意味深な微笑みを舞菜の方へ向けています。

心の中のどこかで、最高のパフォーマンスを披露すれば舞菜が戻ってくる、とまだ思っていたのではないでしょうか(ステラマリス的価値観!)

この舞菜との決別がありありと実感されるのは、もちろん12話のあのシーンです。

 

挫折の肯定とオルタンシア的価値観

さて、オルタンシア的価値観にKiRaReが影響を受ける1回目が6話であることはすでに述べた通りですが、2回目は11話です。曲に例えるなら、キラメキFuture、OvertuRe:という2回あるサビの前に、「オルタンシア」というBメロを配したようなもので、美しい構成につくづく感心させられます。

11話では、八王子電気通信大学スパコンによって、KiRaReがステラマリスに勝つ確率は0%であるという計算結果が出ます。
ショックを受けた紗由は、小学生らしき女の子二人組のステージを見て、幼いころの自分を回想します。

楽しそうだな。私も、こんな拍手を受けて、アイドルになりたいって思ったんだ

「勝ち負け」というステラマリス的価値観に迫られた紗由にとって、「楽しそう」というオルタンシア的価値観は、遠い日のものになってしまいました。舞菜は、紗由を元気づけようとしますが、紗由の落胆は大きく、なかなかうまくいきません。
そんなところに現れたのがオルタンシアの二人でした。二人は、ステラマリスに勝てる可能性が0%と聞いても、気にするそぶりを見せません。そんな二人の姿に、紗由は感心します。

 

お二人は、負けることって怖くないんですか?

紫「別に負けるのは好きじゃないけど」
陽花「でも、私たちは勝てる勝てないよりも、あくまで楽しむことが目的だからね」
紫「うん、そうだな」
陽花「私が紫ちゃんより一つ年上で、先に中学に入ったのは知ってるよね」
舞菜「はい、聞きました」
紫「あたしはその1年間、陽花に取り残された気がして、すごく寂しい思いをしてたんだ」
陽花「私も同じ。中学に入って、新しい友達もできたけど、でも紫ちゃんと離れてると、何もかもが足りなく感じてた
紫「だから、二人一緒のオルタンシアのパフォーマンスが、何より楽しいんだ」
陽花「勝っても負けても、オルタンシアはオルタンシアだから」
紫「それに1%くらいは勝てるかもしれないしな」
陽花「せめて2%くらいにはしようよー」


一緒に」「楽しむ」というオルタンシア的価値観が明白に表現されたやり取りです。しかし、6話の時点に比べて、ひとつだけ新しく追加されたことがあります。それは、「一度挫折した」という点です。二人で一緒に楽しむという夢は、「一度挫折した」からこそ、何よりも大切になったのです。
オルタンシアと別れた舞菜は、紗由を山登りに誘います。

紗由「なんか、かなわないなって思っちゃった」
舞菜「オルタンシアのお二人ですか?」
紗由「うん……」
舞菜「でも私、お二人の気持ちが少しわかる気がしました」
紗由「どういうこと?」
舞菜「私、本校から逃げて高尾校に来たじゃないですか。あの時はもう二度とアイドルのこととか考えたくないって思ってました。でも、そう思えば思うほど、何か大事なものを失ってた気がしてたんです」
舞菜「あそこで紗由さんに出会ったとき、私、失ったはずのものが、また戻ってきた気がしたんです」
紗由「舞菜……」
舞菜「紗由さんは違うかもしれないけど」
紗由「ううん、私だって同じだよ。私も、あの時まで、子供のころからの夢が、もう終わったような気がしてた(中略)だけど、舞菜に初めて会ったとき、あの時、もう一度何かが始まった気がする」
舞菜「私もです」
紗由「うん、まるで、閉じてた本が、また開いたみたいに」

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二人の気持ちがわかる気がしたと舞菜が言っているのが重要です。これはどういう意味でしょうか。

舞菜がこう言ったのは、「一度挫折したからこそ、一緒の時間が楽しい」という思想に共鳴をおぼえたからです。オルタンシアの二人が「一緒」の時間を何より大切にしているのは、「一緒」ではなかった時間の辛さを知っているからです。同様に、舞菜と紗由が「ずっと一緒」と誓い合うのは、一度挫折したからこそ、その挫折から立ち直らせてくれた出会いに感謝しているからです。

そう考えると、挫折も肯定できてしまいます。挫折していなかったら、舞菜と紗由は出会わなかったし、挫折していなかったら、その出会いの持つ意味も分からなかったに違いありません。

オルタンシア的価値観に再度触れたことで、KiRaReの6人は、「一緒に」「夢を広げる」というKiRaReのアイデンティティを再確認するだけでなく、内省を深め、過去の挫折を肯定するようになります。その結果が、名曲「OvertuRe:」の誕生です。

もし、OvertuRe:の特徴が、「オルタンシア的価値観に触れたKiRaReによって披露される」という点だけであれば、キラメキFutureと同じであり、本編の中で2回も描く必要はありません。この2曲で大きく違うのは、キラメキFutureが未来へ向かって夢への前向きな思いをつづることに集中したのに対して、OvertuRe:では、過去の挫折を未来から肯定できた点にあります。

この点は、アニメブルーレイ3巻付属のブックレットに掲載されているSoflan Daichiさん(OvertuRe:作詞)のインタビューによく表れています。

KiRaReの6人と向き合っていて教えられたことのひとつに、「過去は変えられる」というものがあります。「過去は変えられない」というのがコモンセンスですが、その過去があったおかげでこうしてみんなに出会えた。そんなふうに「それは必要だった」と言える未来を作っていけば、「思い出したくもなかった」だけの過去も「そのおかげで今がある」と思える過去に変えることができる。大切なのは「後悔しないこと」ではなく、「前を向いてちゃんと後悔し続ける強さ」なのだと思います。後悔がある限り、きっと人はまだ前に進める。そんな彼女たち6人から受け取ったメッセージを込められたらと思い、「Overtu"Re:」というタイトルを付けました。

この考え方、大好きです(唐突な告白)。

 

さて、校内ライブでOvertuRe:を披露する場面で、11話は幕を閉じます。紗由と舞菜のモノローグ。

紗由「この歌で、みんなの心を動かせば」
舞菜「私たちは、きっとどこまでだって行ける」

ずっと一緒」「夢を広げる」の2点を確認するセリフであることは言うまでもありませんね。

 

Dream Days

最終話。決戦を前に、KiRaReの面々は「一緒」であることを確認し合います。

一緒にてっぺんみよな、実ちゃん」

「梅昆布茶で祝杯を挙げるみぃ」

と声を掛け合う瑞葉とみい。

「怖がらないで、一緒に前に進もう」

「エンジェル……ありがとう」

と語り合うかえと香澄。

以前にみいを助けた瑞葉を今度は実が助け、香澄を助けたかえを香澄が助けるのがいいですね。

舞菜「私、変わったのかな。紗由さんと出会って。

それに、紗由さんとなら絶対に大丈夫って、心から思ってるからかも」

紗由「私も、ひょっとしたら、舞菜とじゃなきゃ、もう歌ったり踊ったりできないかも」

舞菜「あ、今同じこと思ってた」

 これも、「ずっと一緒」であるを確認し合うやり取りですが、舞菜が自らの成長を自覚していることがよく表れています。

本番前も、KiRaReの6人は、「一緒に」「夢を伝え、広げる」というアイデンティティを確認し合います。

舞菜「みんな、私たちはKiRaReです。6人みんな違ってて、でもひとつに集まってキラキラ輝いてる。だから大丈夫。私たちのパフォーマンス、届きます」

瑞葉「舞菜ちゃんの言うとおりやな。ここで終わらしたらあかん」

みい「ここがスタートみぃ」

香澄「みんなで一緒に」

かえ「前を見て」

紗由「どこまでも輝いて見せる!」

 

舞菜「どこまでも行こう、私たち6人で」

全員「KiRaRe、輝け!私たちの夢!」

そして披露されるOvertuRe:。歌詞を聞いただけでも梅昆布茶が出てくるのに、以下のモノローグにとどめを刺されます。ここにも、KiRaReのアイデンティティがよく表れています。

香澄「あの日、また自分の声で歌おうって決めた。落ちてたボクを、みんなが拾ってくれたから。だからボクは、精いっぱい歌う!」

かえ「夢を見ることは難しい。叶えることはもっと難しい。でも、一歩踏み出したら止まれない、それが夢!」

瑞葉「実ちゃんが、みんながおらへんかったら、ウチ、こんな景色見れへんかった。がんばれへんかった」

みい「ほんとは、ずっと寂しかった。仲間と、同じ夢が見たかったから」

みい「これからもよろしくみぃ♪」

瑞葉「こちらこそや」

紗由「最初は部長と二人だった。でも、舞菜と、みんなと出会って、私の夢は、6人の夢になった」

舞菜「私たちの夢、みんなにもきっと届く。届けて見せる、この歌で!」

「私たちは、みんな一緒に輝くことができる。

一度は諦めた夢を、また追いかけてつかむために。

お姉ちゃん、見て、これがKiRaReだよ」

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ここにおいて、碧音は舞菜との決別をはっきり認識します。どれほど優れたパフォーマンスをステラマリスが披露しても、舞菜が戻ってくることはありません。前述したように、KIRaReの仲間と「一緒に」「夢を広げる」ことこそが舞菜が歌い踊る理由であり、「勝ち抜く」「卓越する」こと(=ステラマリス的価値観)は目的ではないからです。

これを受けた碧音の「舞菜……!」という独白に、どれほどの想いが込められていることでしょう。最愛の妹との決別を迎えた寂しさ、悲しさ、一方で式宮舞菜という一人の人間が挫折を経て夢を見つけた嬉しさ……。碧音の眼前にいたのは、もはや他人を傷つけるのを恐れて歌とダンスができなくなった「まーちゃん」ではなく、夢を広げるために歌い踊る「舞菜」でした。

 

そして、KiRaReのは、会場にいる人々に広がります。それが各キャラクターのセリフに表れています。「KiRaRe、天使なのでしょうか」「はい、翼が見えましたわ」「那岐咲にも見えました」と語り合うトロワアンジュの3人を皮切りに、

紫「キラキラしてるね」

陽花「負けないで、応援してるから」

美久龍「まぶしすぎるぜ、KiRaRe」

朱莉「でも、もっと輝いて」

ハク「頑張って」

玄刃「前に進んで」

人々は笑顔になり、あるいは涙し、会場には万雷の拍手と歓声が鳴り響きます。

舞菜は心の中でつぶやきます。

これが、私たちの、夢の、始まり

 

さて、大会の結果を受けて、KiRaReの6人は部室に集まります。

紗由「楽しかったです」

かえ「うん」

香澄「6人で一緒にやって」

かえ「すごく、楽しかった」

紗由「この想い出は、絶対忘れません」

舞菜「うん」

始めは、感情を抑えるようにぽつりぽつりと話していた6人でしたが、涙を流す瑞葉とみいにつられて、次第に感極まっていきます。

舞菜「私、私高尾校に来て本当に良かったです」

かえ「かえもチャレンジして本当に良かった」

紗由「みんなと頑張ってよかった」

香澄「この部に来てよかった」

舞菜「でも、悔しいです」

紗由「うん、悔しい」

全員「悔しい……!」

紗由「これで終わりだなんて嫌!私、もっともっとみんなと部活したい!」

みい「みいだって、みんなと一緒にプリズムステージ出たかった!」

かえ「優勝、したかった……!」

香澄「今はただ、悔しさしかないね」

瑞葉「信じられへん、全部終わってもうたなんて」

全員号泣した後、舞菜が再び口火を切ります。

舞菜「でも、うれしいです。最後まで、6人で頑張れて。ありがとうございました!」

紗由「うん。ありがとうございました!」

香澄「本当にみんな、最高の仲間だったよ」

みい「こちらこそだみい」

瑞葉「笑顔で終わろうか、謡舞踊部」

かえ「皆と会えて、よかった」

挫折を抱え、何の自信もなかった女の子たちが次々に発する、自己と仲間の頑張りを肯定する言葉。チャレンジして、夢を広げたからこそ出てきた言葉です。結果は悔しいものでも、それはもはや挫折ではありませんでした。

私は嗚咽しました。心の中では、おめでとう、おめでとうという言葉が何度もあふれ出てきて、とどまるところを知りませんでした。

 

最後に、一つの可能性を残して物語は幕を閉じます。万感の思いを込めて舞菜と紗由は言います。これまでの流れを考えれば、お互いにかける言葉はこれしかありません。

舞菜、これから先も、ずーっとよろしくね

うん、紗由さん。ずーっと一緒だよ

 そして、367Daysが流れたラスト(選曲が神であることは言うまでもない)。集合写真を思われるカットで、「Dream Days」と書かれ、フィナーレを迎えます。

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ですが、この「Dream Days」は、「若いころは夢に向かって頑張ったな」などと老人が回顧するような、そんな骨董品のような感慨でなく、いつまでも輝きを放つ鮮烈なメッセージです。彼女たちは「ずっと一緒」であり、彼女たちの「Dream Days」には終わりがないからです。一度挫折しても、その挫折を抱きしめ、自らを肯定することができたKiRaReの6人は、夢に向かっていつまでもいつまでも走り続けることでしょう。

そして、この「Dream Days」は、KiRaRe6人のものだけではありません。KiRaReのアイデンティティは「夢を広げる」ことにあり、KiRaReの夢は私たち視聴者にも広がったからです。私たちもまた、KiRaReから受けた夢へのバトンを持って、走り続けることでしょう。

この世に「Re:ステージ!」があってよかった。「Re:ステージ!」がある時代と場所に生まれてよかった。ありがとうございました!

 

おわりに

クソ長い文章でした。ここまで読んだすごい人、いるのかな?もしいたら、本当にありがとうございます。

コンテンツの盛り上がりは、ファンが語るところから生まれると思います。

「語り合う」という意味で、ご批判、ご叱責含め、ご意見のある方はコメントやツイッターのリプにいただけると幸いです。

放送からどれほどたっても、胸の奥に溢れた君の”大好き”を思い出して、語っていきたいですね!

 

 

5/17 一部誤字を修正しました。

*1:自己同一性などと訳される。自分は何者であるか、私がほかならぬこの私であるその核心とは何か、という自己定義がアイデンティティである(ブリタニカ国際百科事典)

*2:昨年行われた3rdライブのパンフレットに掲載されたユニットトークでは、以下のように語られています。

諏訪(彩花、瑠夏役) でもステラマリスって、珊瑚ちゃんは碧音のことも好きだけど、がっつりなれ合ってる感もないんですよね。絶妙な距離感じゃない?

高橋(未奈美、碧音役) うん。友達同士ではない感じ。

諏訪 不思議だよね。それぞれの信頼関係、結び付きは強いんだけど。

 さすがにキャラクターを演じる声優さんは、当を得た見方をしますね(上から目線)。 

拝啓 リステ運営様

拝啓

 

梅花の候、貴社におかれましては、ますますご盛栄の段、大慶に存じます。

さて、突然ですが、来る6/7(日)の

Re:ステージ!ワンマンLIVE!!~Chain of Dream~《KiRaRe公演》

につきまして、提案がございます。単刀直入に申し上げますが、

① 追加公演の開催

② ①が不可能な場合、ライブビューイングを実施するまたはライブ映像をネットで配信すること

③ ③が不可能な場合の、後日の映像化

以上の三点をご検討いただけないでしょうか。

 

以下は、私の気持ちを長々と綴ったものであるため、読み飛ばしてくださってかまいません。

 

私はなぜリステが好きなのか

私は、昨年放送されたアニメ「Re:ステージ!ドリームデイズ♪」を拝見しました。それまで「リステ」に触れたことはなく、アニメも軽い気持ちで拝見していたのですが、次第にのめりこみ、気がつけばすっかりこの作品の虜になっていました。

この作品の素晴らしいところは、「Re:」というタイトルに象徴されるように、「一度諦めた夢を、もう一度追いかける」という点であると感じます。

普通の作品ならば、「夢を諦めるな」「困難な目に遭っても、逃げるな、立ち向かえ、乗り越えろ」というメッセージを発するところです。

このようなマッチョな思想も、それはそれでよいですが、リステの場合は違います。「夢を一度諦めてもいい。でも、もう一度目指してみようよ」「困難な目に遭ったら、逃げることは悪いことじゃない。一度逃げても、もう一度頑張ってみればいいじゃないか」

このような思想を、私はリステから感じました。世の中に存在するのはマッチョな人間ばかりではありません。私もマッチョではなく、弱い人間です。挫折したこともありますし、逃げだしたこともあります。そんな挫折も弱さも抱きしめて、それでも前に進もうという優しさが、リステにはあります。

主人公の式宮舞菜たちKiRaReの6人は、いずれもアイドルになるという夢を一度諦めます。そして、諦めたという過去を、だれも否定していません。過去を抱きしめたうえで、もう一度夢を目指すのです。アニメ11話で、「過去は今とつながっているから。大丈夫。」と、柊かえが本城香澄にメッセージを送るシーンが象徴的です。

また、このような思想を語るうえで外せないのは、数々のリステ楽曲です。特に、主題歌「Don't think,スマイル!」の歌詞は、素晴らしい歌詞が多いリステ楽曲の中でも、白眉です。

道がもしも途絶えても 別のルート探して進もう
だから何度も!何度も!何度も!前を向いて

 

乗り込んだバスにもしも 居場所がないなら

旅の途中 降りるのも 間違いじゃない 

 このようなリステの思想に、弱い私は救われ、励まされました。現在私が前向きに生きられているのは、リステという作品が存在するおかげと言っても過言ではありません。

改めてリステスタッフの皆様に厚く御礼申し上げます。このような素晴らしい作品を熱意を込めて作ってくださり(あのクオリティのものを作るのに、どれだけの熱意と愛があれば必要なのだろうと想像します)、本当にありがとうございました。

 

待ちに待ったKiRaRe公演、しかし……

リステにはまった私は、当然ブルーレイも全4巻買い揃えました。昨年11月に開催された3rdライブにも、昼の部・夜の部ともに参加しました。

ライブに参加したことで、ますますリステに対する愛は深まりました。MCはほぼなく、息をつく間もなく展開される、魅力的な楽曲の数々。大好きなKiRaReの歌とダンスに酔いしれたかと思いきや、花守さん最後のリステライブであったオルタンシアのパフォーマンスに心を揺さぶられ、王者の風格漂うステラマリスの楽曲に興奮したかと思いきや、トロワアンジュが持つ天使の歌声に聞き惚れ、テトラルキアのステージには全身を激しく突き動かされる。あちらと思えばこちら、とのべつまくなしに気持ちが動き続け、感情に対する暴力であるとすら感じました。

最後は花守さんをリメンバーズ皆で温かく送り出すことができ、本当にこのライブに行ってよかったと心の底から思いました。これほどの素晴らしいライブは、私が生涯で経験するであろう全てのライブの中でも五指に入る、と断言してもよいです。

しかし、これほどの素晴らしいライブでも、セットリストに入らない曲は出てきます。KiRaReの曲に限っても、Startin' My Re:STAGE!、君に贈るAngel Yell、夏の約束をはじめ、数々の名曲が入っていません。

これらの楽曲を聴けるであろうKiRaReのワンマンライブが、本当に楽しみでした。ワンマンライブを実施すると聞いた昨年の11月から、KiRaReワンマンライブの日がやってくるのを心待ちにしていました。

しかし、ブルーレイの先行販売の結果は落選。KiRaRe初のワンマンライブへの参加という私の夢は露と消えました。

一度は諦めた夢でも

落胆しながらも、一旦はライブへの参加を諦めました。

一般販売を実施していない段階のブルーレイ先行ですら落選が出る原因のひとつには、会場のキャパシティが小さすぎることが挙げられます。昨年の3rdライブが行われた大宮ソニックシティのキャパが2500であるのに対し、作品のメインであるKiRaReのライブがTFTホール1000、キャパ900では小さすぎます。

この、会場のキャパが小さすぎる点について、リステ運営様を非難するつもりは毛頭ありません。ただの推測ですが、東京オリンピックもありますし、やむにやまれぬ事情があるのでしょう。

このような事情もあるでしょうし、私はライブへの参加を諦めました。そのくらいの判断ができるほどには私は「大人」です。理想の前に、どうにもならない現実があることそわかっています。しかし、諦めた後で、私は「ステレオライフ」の歌詞を思い出しました。

「理想と現実は違う」なんてね 大人のフリもしてみたけれど

大人になるってこと それは何かを諦めることじゃない

きっと……

そうだ、諦めることは簡単だが、本当にそれでいいのだろうか。他の作品ならば諦めもつくが、リステだけは違う。KiRaReの6人のように、一度諦めた夢を、もう一度追いかけよう、そのためにできることはないだろうか……。

以上のように考え、この手紙を書いています。

会場のキャパが小さいのは仕方ありませんが、そのためにライブに参加することができないリメンバーズのために、冒頭で申し上げたような救済措置を講じていただきたいのです。

もちろん、この要望はKiRaReのワンマンライブを体験したいという私欲から出たもので、厚かましいお願いであるのは重々承知しています。このような措置が難しい事情があるであろうことも想像しています。

しかし、今回の公演に落選したリメンバーズは私だけではありません。twitterで観測される限りでは、リメンバーズのうち4分の1~3分の1は落選しています。アニメが成功し、リステというコンテンツがさらに大きくなるチャンスである今、このようなリメンバーズに対する措置を講じないことは、作品にとって大きな損失にほかなりません。

もちろん私も要望をただ書き連ねているだけにはまいりません。収入の範囲であればお金は出せますし、これからもリステを応援し続けます。

落ち込んだり迷っても最後には笑顔に、リメンバーズが367Days(みんなで)なれるような、そんな結末を迎えられますように。

 

書いているうちに思いが募り、思いのほか長い手紙になってしまったことをお許しください。

何卒ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。

 

Re:ステージ!の今後のますますの発展を祈って

 

敬具

花守ゆみりがリステを卒業する意味~にわかリメンバーズが声優バイブルを読んでからリステ3rdに行って考えたこと~

はじめに

11/17(日)、「Re:ステージ!」PRISM☆LIVE!3rd STAGE~Reflection~」に行ってきました。アニメから「Re:ステージ!」(以下、リステと呼称)に入ったにわかでしたが、はっきり言って、最高のライブでした。リステ以外のライブにはそれなりに行っていますが、これほどのライブはほとんど経験がないくらいです。せーので跳べって言ってんの!で跳びまくり、大好きなKiRaReの曲を聴ける幸福感に包まれ、ステラマリスのステージにに気分が高まりすぎて何度も絶叫し、トロワアンジュの歌声に聞き惚れ、テトラルキアのリーダーになりました。

しかし、最高のライブだったからこそ、リメンバーズの胸のどこかに引っかかっている、「あのこと」について、整理しておきたいのです。

にわかの身で語るのは恐縮なのですが、「あのこと」について、どうしても胸の中にある思いを吐き出しておきたいのです。

 

花守ゆみりさんのリステ卒業

リステ3rdライブを楽しみにしていた去る11月1日のことです。twitterを眺めている筆者の目に、リステ公式のツイートが飛び込んできました。

 

 

 

 ツイートを見た瞬間、何となく内容を察しました。

読むと、膝の不調のため、伊津村陽花役の花守ゆみりさんが今回の3rdライブをもってリステを卒業するという内容。にわかリメンバーズである筆者にとってもショッキングなお知らせです。その日は、2ndライブのBDを再生し、オルタンシアのライブシーンだけをぼんやり眺めて終わりました。

筆者にとって初めてのリステのライブで卒業という形になったわけですが、そうなった以上、ライブでしっかりと目に焼き付けよう、と決意しました。

ところが、それからさらに数日たったころ、どうやら花守ゆみりさんがネット上で炎上しているらしいと小耳にはさみました。

なんでも、インタビューで花守さんがイベントを嫌がっている、アイドルのようなことをやりたくない、と語ったいうような内容。これが批判されているようでした(ようでした、というのは、直接そういった記事を目にするのは嫌で、見ていないのです)。

これから花守さんが「アイドルのようなこと」をやる現場に行く身としては心中穏やかではありません。もしかして、花守さんは嫌だと思いながらライブに出演していたのか、とまで想像しました。これは真相を確かめねば。噂のインタビューが載っている「声優バイブル」を購入しました。

 

 声優バイブルを読んで

実際に声優バイブルの記事を読んで、花守さんが語っていることを確かめてみました。少し長いのですが、引用します。

私たち声優が前に出て、(中略)キャラ準拠で歌ったり踊ったりしますけど、それがどうしても自分の中で受け入れられないんです。その子を背負って人前に出るというのは、その子の何かを変えてしまう気がして。生身の声優が出るとどうしても自分が出てしまうから、それが許せなくなってきたんですよね。

声優に正しい形はないと思うんですけど、あくまで自分の中では、キャラクターを陰から作る作り手でありたいという気持ちが、20歳ぐらいから強くなりました。(中略)私自身がキャラの服を着てそのこの歌を歌うのは、だんだん受け入れられなくなってきたんです。他の人がやっているのを見ると感動するんですけど、自分がやるのはどうしてもモヤモヤして。このモヤモヤがあることで、ますますキャラクターじゃなくて自分を認識されてしまうんじゃないか、それが嫌だなって。

花守さんはこう続けます。

声優としてどうあるかというのは本当に広いから人それぞれだと思うんですけど、アイドルをするのが普通で歌って踊って、というのは無理になっちゃったんです。だって素の自分が出ちゃうから。声優じゃなく、キャラクターを届けたいのに。歌ったり踊ったりするのもキャラ準拠。なのに、キャラクターじゃなく声優がかわいいという見られ方をするのが、たぶん嫌だったんですね。

この仕事を楽しいと思ったのは、表現者のすごさに感動したから。だから、自分も声の表現者として受け入れられたかったんだと思います。

 読んでみると、納得の声優観です。つまり、声優である自身が表に出ていくことで、キャラクターを壊してしまうことが嫌であり、自身はあくまでキャラクターの声に徹したいということなのでしょう。私自身、声優がキャラ準拠で歌ったり踊ったりするライブに行こうとしているわけで、そういったものが好きなわけですが、こういった声優観自体は至極真っ当だと思いますし、声の演技に対するこだわりも、花守さんの演技を知っているとうなずけるものがありました(花守さんの演技をご存じない方は、結城友奈は勇者である―鷲尾須美の章―の4話をご覧ください)。

念のため、「こういった声優観を持っているため膝の不調を口実にリステを卒業するのだ」と考えるのは邪推というものです。インタビューには、幼少期に膝を故障したことも書いてあり、膝の不調というのは本当でしょう。

インタビュー全文も興味深い内容でしたので、ご興味がおありの方はぜひ声優バイブルを購入し、全文をお読みください。

 

インタビューを読んで、花守さんが抱えている葛藤を思いました。確かに、歌って踊ることに対する葛藤はあったのです。しかし、不思議と嫌な気持ちにはなりませんでした。むしろ、こんなに真摯に声優という仕事に取り組んでいる花守さんへの共感が頭をもたげてきました。ともあれ、当日は花守さんを応援しようと心に決めました。

 

実際にライブを見て

当日のオルタンシアのパフォーマンスは素晴らしいの一言でした。膝への影響が考慮されたのか、他のユニットに比べて曲数は多くなかったものの、筆者は「Yes,We Are!!!」でウィーアーしまくり、「Purple Rays」でオーライしまくり、「君とインフィニティ」でやっほーしまくりました。

特に伊津村陽花のソロ曲「アイノウ・アイノウ」は、傘を使った演出が見事で、終始目を奪われていました。見ながらライトピンクのペンライト振っていたはずなのですが、どんなふうに振っていたか記憶がありません。表現者としての花守さんの矜持を見た気がします。そこにいたのは、花守ゆみりではなく、伊津村陽花でした。

 ラストの「Dear マイフレンド」では、両隣のオタクがタオルに顔をうずめたことに加えて、相方である小澤亜李さんの歌声も最後は震えているように聞こえ、つられて思わず目から梅昆布茶が……。

 最後に、花守さんがリステに対する愛を語ったのが印象的でした。確かに自らが歌い踊ることに対する葛藤はあったのかもしれません。しかし、それはリステ、伊津村陽花というキャラクターを愛しているからこその葛藤だったのでしょう。

最後は花守さんも小澤さんも笑顔だったと思います。

 

花守ゆみりがリステを卒業する意味

 花守さんのリステ卒業が発表されたとき、花守さんへの批判とともに、リステ運営を批判する向きもありました。

・膝の不調が理由というが、膝に負担がかからない形でライブをすればよい

・声優なのだから、声を務めることが最優先のはず。ライブは演出面の工夫をすれば何とでもなるはず。声と歌のみで伊津村陽花役を続けさせることができるはずだ

というような意見です。当初は理がある意見だと思っていましたが、3rdライブを見た今では、それは違うと思ってしまいます。

 

そもそもリステというコンテンツは、アニメになっていない今までは中の人ありきでした。動くことのないキャラクターに対して、声優さんがライブを行うことによって命を吹き込むのです(アニメからリステに入った筆者がアニメ化以前のリステを語るのはちゃんちゃらおかしいのですが、ご容赦ください。)。

アニメ化が実現した今は違います。3rdライブのタイトル「Reflection」とある通り、リステのライブが今後目指すところは、アニメのライブへの反映、そしてアニメの再現です。2ndライブ、1stツアーまでの情報はリステの公式サイトにあるのに対し、今回の3rdライブ、そして来年に控える各ユニットの1stワンマンライブはアニメリステDDのサイトに記載があり、リステの公式サイトにないのが象徴的です。

実際に3rdライブを見て、そのことを強く実感しました。特にKiRaReの「OvertuRe:」。アニメ最終話のライブ映像がバックに流れ、その映像とシンクロして、まったく同じ歌とダンスをKiRaReの声優陣が披露しました。あまりの尊さに、本当にこの世の光景なのか、自分は今美しい幻を見ているのではないかという感覚に襲われました。アニメで碧音お姉ちゃんが「舞菜……!」と叫ぶのとまったく同じタイミングで、口から「舞菜……!」という音がこぼれ、そして泣き崩れました。

アニメの再現を目指すという点ではオルタンシアも同じです。「Yes,We Are!!!」では、バックにアニメの映像が流れ、それに合わせて小澤さんと花守さんが歌い踊りました。……コールを入れるのが楽しすぎて、詳細な動きはよく覚えていませんが……。

 

今後リステのライブが目指す、声優の歌とダンスによるアニメの再現出、感動の再生産。それは、膝の不調を抱えたまま挑戦するにはあまりに険しすぎる道であるし、そもそも声優として表舞台に出て歌い踊ることを受け入れられないという花守さんの思想と明らかに相いれないものです。

花守さんのリステ卒業は必然であったというべきでしょう。

 

ただし、先に述べたように、花守さんのリステに対する愛は真実であると信じてやみません。

リステのアニメ3巻に付属しているブックレットのインタビューでも、以下のように語っています。

卒業すると決まったときは、すごく寂しくって…長く演じさせていただいたからこそ、彼女のことが大切で大切でたまらなくって。だからこそちゃんと彼女には輝く場所にもっと立ってほしいなって思っているんです。そのためのお別れなんですけど、これからのステージでもふたりには輝いてほしいなって思います。

愛しているからこそ、そこから離れるという決断をしたのだと思います。愛は花守さんからリステへ向けられたものだけではありません。相方の小澤さんはもちろんのこと、ライブで「Dear マイフレンド」の後に花守さんと小澤さんに抱き着いた空見ゆきさんを始め、多くのキャスト陣が花守さんへの想いを言葉にしていますし、何よりライブの空間は、花守さんに対するリメンバーズの愛で溢れていました。

 

 

リステと花守さん、相思相愛であるのに、お互いに離れることになってしまったのは一見悲劇のように思えます。しかし、これがお互いにとって幸せになる選択だったと言える日が来ると信じています。花守さんの卒業は寂しい限りですが、まだ見ぬ新生オルタンシアがどのような景色を見せてくれるのか、楽しみです。

 

リステが今後、アニメをライブに反映したコンテンツとしてますます発展していくこと、そして花守さんが声の表現に専念することで、声優としてますますご活躍されることを祈念します。

長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。